特攻隊員として戦死した2人の選手や景浦將… 戦後74年、戦火に散ったプロ野球選手

景浦将氏の現役通算成績
景浦将氏の現役通算成績

東京ドームの外構に「鎮魂の碑」が立ち、戦争で命を落とした73人の名が刻まれている

 1945年の終戦から74年目の夏を迎え、15日には終戦記念日を迎えた。終戦時、日本のプロ野球はまだ9年目だったが、多くの選手が戦地に赴き、そして命を落としている。

 プロ野球でにぎわう東京ドームの外構に「鎮魂の碑」という石碑が立っている。この石碑はプロ野球に身を投じ、活躍しながら戦争に従軍して命を落とした73人の選手を鎮魂する碑だ。

 前回紹介出来なかった「鎮魂の碑」に刻まれた選手の名前を引き続き見ていこう。◎は野球殿堂入り。

○阪神
上田正 内野手
岡田宗芳 内野手
小川年安 捕手
景浦將 投手、外野手、内野手◎
加藤信夫 内野手、捕手
辻源兵衛 投手、外野手、内野手
西村幸生 投手◎
野口昇 三塁手
原一朗 捕手
平林栄治 内野手
前川正義 内野手、捕手
松下繁二 外野手
三輪八郎 投手
森国五郎 外野手

 阪神は戦前の主力選手の多くを戦争で失った。小川年安は慶應義塾大時代から人気のあった名捕手。景浦將は戦前、最強打者と言われた。打点王2回、首位打者1回、投手としても、防御率1位1回。西村幸生は、1937年秋に最多勝。野口昇は有名な「野口4兄弟」の三男。兄弟で唯一戦死している。三輪八郎はノーヒットノーランも記録した左腕投手。

○名古屋
石丸進一 投手、内野手
戒能朶一 内野手
後藤正 一塁手
白木一二 外野手
前田喜代士 外野手
村瀬一三 内野手
村松幸雄 投手

 石丸進一はノーヒットノーランを記録した右腕。特攻隊員となり戦死した。その悲劇は「消えた春」というノンフィクションになった。兄は同じ名古屋で内野手だった石丸藤吉。村瀬一三は1941年途中に阪神に移籍した好守の内野手。村松幸雄は1940年に21勝した投手。

○金鯱
大宮清 投手、捕手
松本利一 投手、内野手、外野手
森田実 投手、外野手

 森田実は1940年に全試合出場。金鯱軍は1941年に翼軍と合併し、大洋軍となった。

○南海
天川清三郎 投手、外野手
北原昇 内野手
国久松一 内野手、外野手
高野百介 外野手
納屋米吉 投手、外野手
政野岩夫 投手
増田敏 内野手
宮口美吉 投手
八木進 捕手

 国久松一は草創期の南海でユーティリティ的な活躍。強肩で知られた。政野岩夫はアンダースローの主戦級投手。1939年には18勝している。宮口美吉は継投でノーヒットツーランという珍記録を持つ左腕投手(プロ野球史上唯一の被安打0敗戦)。八木進は1942~44年の南海の正捕手。

○朝日
田中雅治 外野手、捕手
林安夫 投手
渡辺静 投手

 林安夫は1942年、今もNPB記録である51先発、541.1投球回を投げた右腕。渡辺静は特攻隊員となり戦没。職業野球選手で特攻隊員になって戦死したのは名古屋軍の石丸進一と渡辺静の2人。

「鎮魂の碑」には、職業野球選手の戦没者73人の名が刻まれているが、これとは別に東京ドーム内の野球殿堂博物館には太平洋戦争などで戦死した中等学校野球・大学野球・社会人野球選手の名前を刻んだ「戦没野球人モニュメント」がある。ここには甲子園で2試合連続ノーヒットノーランの偉業を打ち立てた嶋清一(海草中-明治大)などの名前が刻まれている。

【表】伝説の名投手や高校・大学野球のスター選手の名も… 東京ドーム横「鎮魂の碑」に祭られた選手一覧

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