平成元年の名勝負「10・12」とは? 令和元年に、30年前の激闘を振り返る

近鉄と西武による「2番勝負」で、近鉄の主砲ブライアントが“神がかり”的な活躍

 平成元年10月12日。今回のドラマの舞台となった日付だ。近鉄の先発は高柳出己。奇しくも、前年の「10.19」の第2戦でも先発のマウンドを踏んでいた右腕である。ルーキーだった前年には大役にも動じずに7回途中3失点と試合を作ったが、この日は辻発彦に2ランを喫するなど、2回途中4失点と乱調。無念の降板となった。

 対する西武の先発は、快速球と高速スライダーを武器に3年連続2桁勝利を継続中で、「オリエンタル・エクスプレス」の異名を取った台湾の至宝・郭泰源だった。前回登板の日本ハム戦で9回1失点の快投を見せていた右腕はこの日も快調に飛ばし、5回までブライアントの46号ソロによる1点に抑える好投を展開。5回裏には西武が1点を追加して5対1とし、リーグ4連覇中の王者が、大一番で盤石の試合運びを見せていた。

 しかし、この日の、そしてこのシーズンの主役とも言える男が、その豪打で試合の流れを大きく変える。6回表に近鉄打線がついに郭をつかまえて無死満塁と絶好のチャンスを作る。一発が出れば同点の場面で打席に立ったのは、前の打席で本塁打を放っていたブライアントだった。初球をフルスイングで捉えたボールは西武ファンで埋まったライトスタンドに消えていき、あっという間にスコアは5対5。たった一振りで試合は振り出しに戻った。

 同点で迎えた8回、先頭打者は2打席連続で本塁打を放っているブライアント。ここで森祇晶監督は郭に代え、エースの渡辺をマウンドに送り込む。ブライアントは渡辺に対して、来日初年度の1988年は打率.188で7三振。この年もこの打席を迎えるまで打率.222で7三振と苦手にしており、本塁打は2年間で1本もなかった。

 2日前に8イニングで131球を投げたばかりのエースを、絶好調の助っ人を抑えるためだけにリリーフ登板させた名将・森監督。しかし、この試合のブライアントは過去の相性すらも無意味にするほどの、神がかり的な領域へと突入していた。

 渡辺は1ボール2ストライクと追い込むと、決め球には過去にもブライアントから多くの三振を奪っていた、いわば必勝パターンだった高めの速球を選択。しかし、ブライアントはそれまで打てなかったはずのコースに投じられた球を鮮やかに捉えると、打った瞬間に両手を上げてガッツポーズ。ライトスタンドポール際に飛び込む、特大の48号アーチを叩き込んだ。

 片膝をついて呆然と打球の行方を見送る渡辺の姿は、前年の「10.19」でロッテ高沢秀昭に同点本塁打を浴びた際の近鉄のエース、阿波野秀幸の姿を思い起こさせるもの。ペナントレースの行方を左右し、シーズンを象徴するシーンとなったのも同様だ。1年前に130試合目で優勝を逃した近鉄と、結果を待つ側の辛さを味わいながら優勝を手にした西武。あれから1年、歓喜と悲嘆は両チームの間で完全に入れ替わる。あまりにも印象的なコントラストだった。

 1点のリードを手にした近鉄は、8回裏からクローザーの吉井理人を投入。前年のダブルヘッダー第1戦では9回に途中交代という屈辱を味わっていた守護神は、2回をパーフェクトに抑える完璧な投球であらためてその実力を証明し、自らの役目を果たした。近鉄が虎の子の1点を守り抜き、6対5で奇跡的な逆転勝利を飾った。

 直後に行われた第2試合でも近鉄の勢いは衰えず、1回表にリベラの適時打などで2点を先制。西武も直後の1回裏に秋山幸二の適時打と捕逸で2点を挙げて追い付く。両軍の意地がぶつかり合う試合の行方を決めたのは、やはりこの男。第1試合で3打席連続本塁打を放ち、1人でチームの全6点を叩き出していた助っ人、ブライアントだった。

 第1打席は敬遠で歩かされたが、3回の第2打席に西武の先発・高山郁夫から勝ち越しの49号ソロを放ち、NPBタイ記録となる4打数連続本塁打の快挙を成し遂げた。直後に4番のリベラも24号ソロで続いてアベックホームランを達成し、さらに6番・鈴木貴久にも2ランが飛び出して一気に4点を勝ち越し。近鉄が誇る「いてまえ打線」の集大成ともいえる一発攻勢で、あっという間に試合の大勢を決定づけた。

 その後も近鉄は攻撃の手を緩めず、4回と5回にそれぞれ3点ずつを追加。7回と8回にも1点を加え、15安打14得点と打線が爆発。投げては先発の阿波野が2回以降は安定した投球を見せ、7回2失点(自責点1)の好投でシーズン19勝目を記録。終わってみれば14対4で近鉄の快勝。西武との直接対決を3連勝と最高の形で終えて首位へ返り咲いた。一方、西武は優勝が大きく遠のいた。

前年に悲劇のエースとなった左腕阿波野が胴上げ投手に

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