支配下→育成→支配下 “不死鳥”のごとく復活を遂げた選手は?

“松坂世代”の久保裕也は2度の自由契約を経て、育成契約から這い上がって今季も22試合登板

○柳瀬明宏氏(ソフトバンク、阪神)

 龍谷大から2006年にプロ入りした柳瀬氏は、1年目からリリーフとして10試合に登板。プレーオフでは2勝を挙げた。2年目の07年には44試合に登板して4勝1敗、9ホールド、2セーブ、防御率3.33と奮闘。08年も30試合登板と1軍で実績を積んだが、09年は3試合登板に終わると、10年にはトミー・ジョン手術を受けることに。同年オフに育成契約へ移行した。

 その後、12年に支配下登録を勝ち取り、35試合で15ホールド、防御率1.63と活躍した。13年には44試合で防御率1.52、14年は40試合で防御率2.67と安定した投球を続け、強力ブルペンの一角としてリーグ優勝と日本一にも貢献した。

○近藤一樹投手(元近鉄、オリックス、現ヤクルト)

 日大三高で2001年夏の甲子園の優勝投手となり、オリックス時代の2008年には10勝をマーク。翌09年も9勝を挙げたが、11年から4年連続で右肘を手術するなど相次ぐ故障にも悩まされて登板機会は激減。14年オフにリハビリのため育成契約になった。15年4月末に支配下に復帰するが成績は上がらず、16年7月にトレードでヤクルトへの移籍が決まった。

 このトレードが転機になった。リリーフに転向し、17年は防御率4.72ながら54試合登板で14ホールド。18年には球団史上最多タイの74試合登板で7勝4敗、35ホールド。2セーブと活躍し、自身初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手に輝いた。

○久保裕也投手(元巨人、DeNA、現楽天)

 2003年に巨人に入団し、長年主力投手として活躍。11年にはクローザーとして20セーブ、防御率1.17と活躍した。しかし、股関節やトミー・ジョン手術を行った影響で12年はわずか2試合、13年は登板機会がなかった。14年には48試合登板も15年は登板機会がなく自由契約に。16年はDeNAと契約するも9試合登板にとどまり、2年連続で自由契約となった。同年のオフに楽天と契約し、17年には27試合登板で防御率3.60の成績を残した。しかしシーズン終盤に血行障害を発症し、オフにはリハビリのために育成契約になった。

 それでも気持ちを折ることなく再起し、18年5月に支配下登録されると25試合登板、防御率1.71の活躍。今季も22試合で防御率2.82と奮闘し、通算500試合登板を達成するなど存在感を示している。

阪神原口は入団4年目から3年間育成契約、今年は大腸癌から復活を遂げる

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