日本ハムで本塁打王を獲得したボビー・ミッチェル氏死去 シーズン2本の“幻の本塁打”

1977年には2本の幻のホームランが響き本塁打王を逃す

 ミッチェルはやや出遅れて、4月27日の後楽園、近鉄戦がデビューとなる。「7番・DH」で先発し、2回裏に神部年男から初打席初本塁打を記録した。この年23本塁打。同僚のウィリアムスも同じ23本塁打。190センチと長身のミッチェルと、168センチとずんぐりして「ノーネック」とあだ名されたウィリアムスの凸凹コンビは、人気を呼んだ。

 三振が多い荒っぽい打者ではあったが、次第に日本の投手に慣れて長打を量産するようになる。1977年は、4月29日のロッテ戦、7月11日のクラウン戦で打った2本の本塁打が雨天中止によって「幻の本塁打」となる。この年の本塁打王はロッテのレロン・リーの34本塁打。ミッチェルは32本塁打だったが、幻の2本がなければ本塁打王をリーと分け合っていたことになる。

 しかし、1978年には36本塁打で本塁打王のタイトルを獲得した。この年はオールスターゲームにも出場している。1979年限りで退団。在籍は4年だったが、4年連続でパ・リーグの最多三振を記録した。

 MLBでの通算記録は、273試合609打数143安打21本塁打91打点168三振、打率.235

 NPBでは474試合1718打数429安打113本塁打294打点523三振、打率.250、本塁打王1回、オールスター出場1回だった。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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