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全盛期のヤンキースで活躍した右腕が死去 球宴2度出場、MLB通算43勝

ヤンキースなどで先発、救援で活躍し、オールスターにも選出された右腕投手、ジム・コーツ氏が11月15日に死去した。87歳だった。コーツ氏は1932年8月4日、バージニア州生まれ。高校卒業後、1951年にヤンキースとマイナー契約した。

ヤンキースなどで活躍したジム・コーツ氏【写真:Getty Images】
ヤンキースなどで活躍したジム・コーツ氏【写真:Getty Images】

ニックネームは「ミイラ」、身長193センチの横手投げ右腕

 ヤンキースなどで先発、救援で活躍し、オールスターにも選出された右腕投手、ジム・コーツ氏が11月15日に死去した。87歳だった。コーツ氏は1932年8月4日、バージニア州生まれ。高校卒業後、1951年にヤンキースとマイナー契約した(以下敬称略)。

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 マイナーでは主に先発を務める。当初は制球力が悪くマイナー暮らしが続いた。1956年9月に一度メジャーに昇格するがすぐに降格。以後2年間3Aのリッチモンドで投げた。右腕を骨折する負傷もあったが、1959年に再昇格。救援投手として6勝1敗3セーブを挙げた。

 翌1960年は先発、救援で35試合に登板し、13勝3敗の好成績。オールスターにも選出され2イニングを投げた。この年のア・リーグ勝率1位にもなった。当時のヤンキースにはミッキー・マントル、ロジャー・マリス、ヨギ・ベラ、エルストン・ハワード、ホワイティ・フォードらスターがきら星のごとく並んでいた。

 コーツは193センチ87キロで、当時としては目立つ長身投手。しかしサイドスローで奪三振は少なかった。翌1961年は主に救援として投げて11勝5敗。ロングリリーフでチームに貢献した。62年も救援で50試合に登板して7勝を挙げた。63年シーズン開始直後にワシントン・セネタース(現ミネソタ・ツインズ)にトレードされる。さらに7月にはシンシナティ・レッズにトレードされる。この時の交換相手はのち、南海、阪神で活躍し、阪神では監督にもなったドン・ブラッシンゲーム(ブレーザー)だった。

 ここから成績は下降線となり、1965年7月にカリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス)にトレードされたが、1967年を最後にメジャーからは姿を消した。1969年からエンゼルス傘下3Aハワイ・アイランダースで投げて、1970年を最後に引退した。38歳だった。

 ニックネームは「マミー(ミイラ)」。長身でやせすぎの風貌からこのあだ名がついた。通算成績は247試合46先発43勝22敗17セーブ、683回1/3、396奪三振。防御率4.00(セーブは当時は公式記録ではなく、Baseball Referenceのデータによる)。

 引退後は野球界を離れ、電気技師として地下鉄や造船所で働く。1994年にバージニア州の野球殿堂入りを果たしている。

 孫のアーロン・プリバニックは2008年にシアトル・マリナーズからドラフト3位で指名された投手だったが、メジャー昇格は果たせなかった。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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