中日の背番号「48」が憧れた「2」の背中 継承できず募る悔しさ「何やってるんだろう」

中日・溝脇隼人【写真:小西亮】
中日・溝脇隼人【写真:小西亮】

胸に留め続けた荒木コーチの言葉「2番はお前にやるから、俺がやめるまでに1人前になれ」

 背番号は、プロ8年目を迎えても「48」から変わらない。入団からずっと焦がれてきた数字は、期待のドラフト1位ルーキーに与えられた。いつも飄々とした男も、少しばつが悪そうに言う。「荒木さんに申し訳ないです」。中日・溝脇隼人内野手は、正念場のシーズンを迎えている。

「ホント、いつもいい所でやっちゃう……。自分、何やってるんだろうって」

 ケガが憎くて仕方ない。5年目の2017年、開幕して間もない4月上旬にプロ初本塁打を記録。しかし、1か月も経たないうちに右足首を負傷し、6月に手術を受けてシーズンを棒に振った。昨季も5月にプロ初の猛打賞を記録した6日後に右手の有鈎骨を骨折。あまりの不運ぶりに「マジでお祓いに行ったほうがいいんじゃないか」と、名古屋近郊の神社を片っぱしからスマホで検索した時期もあった。

 足踏みばかりしていては、追い求める背中は当然近くならない。熊本出身の俊足巧打が売りの内野手は、同郷の荒木雅博現1軍内野守備走塁コーチの「後継者」と言われ、意気に感じてきた。その大先輩は、入団時から目をかけてくれた。「お前は赤星(憲広)さんみたいな選手になれ」と言われ、阪神の“レッドスター”と同じモデルのバットを作ってもらったこともあった。

「2番はお前にやるから、俺がやめるまでに1人前になれ」。いつしか言われた最大級のエールを、ずっと胸に留めてきた。荒木が17年に2000安打を達成した際、2軍にいた溝脇はナゴヤドームに駆けつけ、眩しすぎる姿を目に焼き付けた。翌18年限りで背番号2のユニホームはグラウンドを去り、1年間は空き番号に。そして今季、将来の大砲候補として圧倒的な期待を寄せられるドラフト1位の石川昂弥内野手が背負った。

背番号2を継承できぬ悔しさ、せめてもの報いは「レギュラーを獲るしかない」

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