プロ入り後に人生初の捕手に挑戦―― 元日ハムドラ1野手が苦しんだ“重圧”

プロ12年間で1軍出場は25試合、打率.174、0本塁打、1打点

「やったことないポジションで不安しかなかったですが、もうやるしかない状況でした。でも、翔(中田)もダイカン(陽)も遥輝(西川)も皆、結局外野をやることになって。『内野で勝負したいって言ったじゃないですか』って球団に伝えたこともありましたね(笑)」

 マスクを被り1軍出場を果たすこともできたが、プロ生活12年間で1軍通算25試合に出場し打率.174(34打数6安打)、0本塁打、1打点。自慢の打撃を1軍で見せつけることはできなかった。2014年に戦力外通告を受けて現役を引退。当時の心境を「よく、ドラフト1位は球団に残れる条件があるって言われますが、自分には全くなかった。ちょっと期待したけど『お疲れ様』と言われて終わりでしたね」と振り返る。

 引退後は千葉で働いていたが現在は地元・兵庫に戻り「株式会社 日伸梱包」の社員として働き、妻と4人の子供と一緒に暮らしている。1年に12人しか手にすることができない栄光の「ドラ1」として過ごしたプロ12年間はどのような時間だったのか。

「入った球団、その時の運も勿論ありますが、結局は自分のことをどれだけ理解して練習できるか。ダル(ダルビッシュ)、翔(中田)、ダイカン(陽)らを見ていても“個”をしっかり持っていた。入団した当初は誰でも迷うことはあるけどブレない心の強さだと思います。もちろん、技術も必要ですが」

 18歳でプロ入りし、30歳を超えてから会社員として第2の人生をスタートさせた今は充実した毎日を過ごしているという。幼い頃から夢見たプロ野球の世界で結果は残せなかったが、後悔はない。

「野球選手は引退してからの方が大変。一生過ごせる金額を稼ぐのはごく一部ですし、今は高卒でも2、3年で戦力外になる選手もいる。華やかに見える世界ですがセカンドキャリアの部分をもう少し何とかできればいいなと。勝負の世界で甘いと言われるかもしれませんが、そうすればもっと魅力のあるプロ野球界になると思います」

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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