【私が野球を好きになった日6】下町育ちの高橋尚成氏が語る原点「野球が隣にいた」

巨人・メッツなどで活躍した高橋尚成氏【写真:Getty Images】
巨人・メッツなどで活躍した高橋尚成氏【写真:Getty Images】

野球と言えば巨人、父の教えに従って野球で100点を目指した少年時代

 本来ならば大好きな野球にファンも選手も没頭しているはずだった。しかし、各カテゴリーで開幕の延期や大会の中止が相次ぎ、見られない日々が続く。Full-Countでは選手や文化人、タレントら野球を心から愛し、一日でも早く蔓延する新型コロナウイルス感染の事態の収束を願う方々を取材。野球愛、原点の思い出をファンの皆さんと共感してもらう企画をスタート。題して「私が野球を好きになった日」――。第6回は巨人OBでメジャーでも活躍した高橋尚成氏だ。

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 東京都墨田区。下町情緒溢れる街で育った高橋氏。実際に野球を始めたきっかけは父や兄の影響だったというが、気が付いたら野球が「そこ」にある毎日を過ごしていた。

「物心ついた時にはもう、野球が隣にいた、みたいな感じ。勉強より野球の方が身近でしたね(笑)。下町の人間だから、うちの父親も母親も巨人ファンで、ナイターの時間になると勝手にテレビで巨人戦が流れていた、そんな子ども時代だったから、自ずと野球が好きになる環境だったのかなと思いますね」

 高橋家の教育方針は「とにかく好きなことをやりなさい」。兄の後を追って野球を始めた尚成少年は、大好きな野球にどんどんのめり込んでいった。

「うちの父親がよく言っていたのは『何でもいいから好きなことで100点を取りなさい』ということ。僕は野球が好きだったから、野球で100点を取りたいなってやり続けて、今に繋がる感じですね」

 修徳高校では甲子園に出場し、駒澤大学、東芝を経て、プロ野球選手としてメジャーでも活躍。父の言う「100点」は文句なしに達成したはずだ。だが、今振り返ると父のメッセージには、さらに深い意味が込められていたのではないかと感じるそうだ。

「プロ野球選手になれなくても、自分の好きなことを貫き通せっていうことだったと思うんですよ。今、自分が当時の父親の年齢になってみて分かるんだけど、やっぱり子どもが嫌なことを無理矢理やらせるのは、親として苦しい。好きなことを自分で選択させてやらせるのも、子どもを尊重しながら寄り添った教育ができるのかな、と。今、自分がこうなれたから言えるのかもしれないけど、あの教えは間違いじゃなかったなって思いますね」

憧れたのは「篠塚さん。守備はもちろん、あのバッティング」

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