【私が野球を好きになった日6】下町育ちの高橋尚成氏が語る原点「野球が隣にいた」

憧れたのは「篠塚さん。守備はもちろん、あのバッティング」

 野球で100点を目指しながら白球を追った尚成少年がファンだったのは、もちろん巨人。当時、好きだった選手を聞いてみると「一応、表向きは中畑(清)さん。大学の先輩でもあるし、巨人の先輩でもあるから」と笑ったが、続いて登場したのは意外な選手の名前だった。

「中畑さんのキャラもすごく好きだったんですけど、実は篠塚(和典)さんなんですよ。僕は左利きだから、自分が守れないポジションに憧れを持っていて、それが篠さんのセカンドとショート。憧れましたね。守備はもちろん、あのバッティング。長打を打つ人はたくさんいるけど、ああいうシュアなバッティングをする人はチームに1人いるかいないか。その人がセカンドを守っていて、すごく好きでしたね。その後、自分が本格的にピッチャーを始めてからは、槙原(寛己)さん、斎藤(雅樹)さん、桑田(真澄)さんの3人の存在がすごく大きかったですね」

 プロ野球選手になるんだったら、巨人の選手になりたい――。1999年ドラフト1位(逆指名)で巨人に入団し、見事に夢を叶えたが、しばらくは夢の世界に放り込まれたような不思議な感覚に囚われていたという。

「自分がジャイアンツのユニホームを着て、ジャイアンツの選手として立っているのを客観的に見たら、すごく不思議な感覚でしたね。1年目は長嶋(茂雄)さんが監督で、原(辰徳)さんがヘッドコーチ。槙原さん、斎藤さん、桑田さんがまだいて、松井(秀喜)さんがいて、清原(和博)さんがいて、篠さんもコーチでいて。テレビで見ていた人たちの中に自分がいるのが、夢でも見ているのかなっていう感じで。キャンプ中は特に、斎藤さんと桑田さんに挟まれてブルペンで投げて『あれ、横に桑田いるよ。あ、斎藤も』って、もう『さん』をつけるなんてことじゃなくて、ファンのままでしたね(笑)」

 夢見心地から地に足を着け、後に“左のエース”と称されるまで成長した左腕。父の言葉に後押しされ、野球に没頭した高橋氏が辿るべくして辿った道だったのかもしれない。

「そう信じたいですよね。東京の下町出身で、なおかつ巨人ファン。子どもの頃からプロ野球と言えば巨人だったから。それが、巨人の一員になって、巨人OBにもなった。なんか不思議な繋がりを感じますね」

 自分で夢を叶えたからこそ、今の子どもたちにも夢を持って、チャレンジしてほしいと願う。

「好きなことに対して夢を持って、そこに向かって突き進むっていうことが、すごく重要じゃないかと思います。何事にもチャレンジすることを楽しむ。こういうチャレンジをして、こんなことができたっていう喜びを常に持ちながら、少しずつできるようになる過程を楽しんでほしいですね」

 解説者となった今も、好きな野球を研究し、「こんな見方もあったんだ」と新たな視点を得る楽しみを味わっているという高橋氏。野球を好きになった日の心は、今なお持ち続けている。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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