【私が野球を好きになった日10】TJ手術の権威、古島医師の野球の原点 「やっぱり王さん」

中学生の頃の夢は「プロ野球選手か医者」、今では医師として野球をサポート

 中学生になって投手をやりたかった頃には、当時PL学園で旋風を巻き起こした桑田真澄投手のフォームをよく真似ていたことも。憧れの選手の動きを真似て学んだ古島医師だが、中学生までは本気でプロ野球選手を夢見ていたという。

「中学2年生の時に立志式という将来の目標を書く行事があって、そこでプロ野球選手か医者になりたい、と書いた記憶があります」

 県立高崎高校に進学後も野球部に所属し、白球を追い続けたが、甲子園の夢もなくなり野球選手ではなく医師になる道を選択。好きで始めたはずの野球だったが、“時間の長い練習に縛られている”感覚が強くなり、「野球以外のスポーツをやってみよう」と大学では個人競技でできるゴルフとスキーに熱中した。ゴルフでもプロゴルファーを目指そうとした時期もあったり、スキーでは指導者資格まで取得したり。それが今では、医師という立場から、再び好きな野球と深く関わるようになり、王氏や原氏、桑田氏、また仁志氏と出会うことにもなったのだから、人生はどう展開するのか分からないものだ。

「医学部に入った時は心臓外科医になろうと思っていました。学生の時にゴルフ部部長である恩師の原田征行整形外科教授に勧誘してもらい整形外科医になりましたが、野球障害に関する治療をするなんて全く考えていませんでした。野球障害の治療が進んできたのは、ここ15年くらいだと思います。それまでは伊藤先生が先進的に取り組んでおられましたが、伊藤先生の手術は神業なので、広島の津田恒美投手の指の血行障害を治療したことがきっかけで、結果として野球選手をたくさん診るようになったという形だったとか。伊藤先生がたくさん手術をなさって構築したものを、僕が受け継がせていただき、蓄積したデータを学会で発表させていただいている。伊藤先生と出会えたことで、僕の興味と野球障害の治療とが上手く繋がった。運命なのかなと思いました」

 医師として、これまで小学生からプロまで何千人という野球選手に出会ってきた古島医師。故障が治って笑顔でグラウンドに戻る選手、野球を諦めなければならなかった選手、その両方を見てきたからこそ、今、野球をプレーする子どもたちに伝えたいメッセージがある。

「夢は最後まで持ち続けてもらいたいと思いますね。たくさん選手を治療していて、プロになっていく子も、逆に諦めて野球を辞めてしまう子も、両方を見てきましたけど、高校の時までそんなに目立った選手ではなくても、大学で伸びてプロに行った子もいます。強いられて野球の練習を積み重ねるよりも、自らが練習を好きになって野球を上手くなろうと頑張っていくことが大事だと思います。その方が怪我をしないし、自分で考える力がつく。人生、どこで変わるか分からないので、諦めずに野球を好きなままで続けてもらいたいですね。もちろん、プロになれない人の方が多い。それでも、子どもたちに『野球は楽しいものなんだよ』って、いい形で繋げていってもらいたいと思います」

 故障で野球を諦める選手が1人でも減るように、そして子どもたちが1人でも多く野球を好きでいつづけられるように、これからも医療の現場から様々な働きかけや問題提起を続けていく。

【写真】憧れの王貞治氏の記念写真に高校時代の思い出の写真も… TJ手術の権威、古島医師の野球を好きになった日

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