【私が野球を好きになった日13】サッカーの街から生まれた名手、仁志敏久氏と野球の出会い

野球とサッカーを掛け持ちも「不思議とサッカーに行こうとは思わなかったですね」

 小学4年生から両チームに所属した仁志氏は内野も外野も経験し、6年生になると選抜で「4番・ピッチャー・キャプテン」を任された。当時、好きだったのは、やはり巨人だった。

「僕が4年生の時に原(辰徳)さんがジャイアンツに入ってこられて、当時は篠塚(和典)さんとかスター選手がたくさんいました。ジャイアンツが好きだったんですが、正直、テレビで見るのはいつもジャイアンツばかりだったので、他のチームをあまり知らなかったというのもありますね。でも、やっぱりジャイアンツはスター軍団でしたよね」

 故郷の古河市はサッカーが盛んな街としても知られる。「その当時はスポーツをする男の子は9割以上がサッカーをしてました」と振り返る仁志氏も、実は野球に加えてサッカーもしていた。「野球の練習や試合がない時は、サッカーの試合に出たりしていましたね」。友達がサッカーに熱中する姿を見ても、仁志氏は野球を好きだという気持ちに「何の疑いも持たなかったですね」と話す。

「不思議とサッカーに行こうとは思わなかったですね。野球が好きでした。プロを経験した今となっては、野球は好きというより追究するものという感じ。だから、野球を見ていて『面白なぁ』と思うことはないですね。だけど、トレーニング方法とか指導方法とか心理学とか独学しながらも、何かにつけて、それをどう野球で生かそうか、ということは考えていますね」

 今では「もう外せないですよね」というほど生活の一部になってしまった野球。「他に同じくらい得意なことがあるかというとないので」と苦笑いするが、「得意なものがあることが幸せだったりしますよね」と野球と出会えた喜びも感じている。自身と同じような喜びを1人でも多くの子どもたちに感じてもらえるように、これからも野球の普及に努めていく。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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