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「辞めていた可能性もある」 沢村賞2度・斉藤和巳氏を投手に導いた恩師の言葉

本来ならば大好きな野球にファンも選手も没頭しているはずだった。しかし、各カテゴリーで開幕の延期や大会の中止が相次ぎ、見られない日々が続く。Full-Countでは選手や文化人、タレントら野球を心から愛し、一日でも早く蔓延する新型コロナウイルス感染の事態の収束を願う方々を取材。野球愛、原点の思い出をファンの皆さんと共感してもらう企画をスタート。題して「私が野球を好きになった日」――。第20回は元ソフトバンクの斉藤和巳氏だ。

元ソフトバンクの斉藤和巳氏【写真:荒川祐史】
元ソフトバンクの斉藤和巳氏【写真:荒川祐史】

2つ年上の兄につれられ、小学1年生から野球チームに入団

【私が野球を好きになった日20】
 本来ならば大好きな野球にファンも選手も没頭しているはずだった。しかし、各カテゴリーで開幕の延期や大会の中止が相次ぎ、見られない日々が続く。Full-Countでは選手や文化人、タレントら野球を心から愛し、一日でも早く蔓延する新型コロナウイルス感染の事態の収束を願う方々を取材。野球愛、原点の思い出をファンの皆さんと共感してもらう企画をスタート。題して「私が野球を好きになった日」――。第20回は元ソフトバンクの斉藤和巳氏だ。

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 京都で生まれ育った斉藤氏が野球を始めたのは、2歳年上の兄の影響が大きかったという。「兄の真似をして始めた頃から、ずっと野球が好きですね」と当時を振り返る。

「野球チームには小学3年生からしか入れなかったんですけど、兄が入って僕も一緒についていってたんでしょうね。特別に1年生から入れてもらって、ずっと年上の先輩とプレーしてました。5年生まで1つ上の学年のチームでやっていたんですよ」

 小学生にとって学年1つの差は大きい。体格でも勝るお兄さんたちに混じりながら、追いつけ追い越せと切磋琢磨した。当時のポジションは、というと「基本的にずっとキャッチャーでしたね」。自分から望んで選んだポジションというわけではなく「肩が強いというだけでキャッチャーですよ(笑)」となかば強制的だった。

 この頃、大好きだったのは巨人だった。関西圏とは言え、京都には意外と巨人ファンが多かったという。斉藤氏が巨人ファンになったのは、父の好みを受け継いだからだ。

「父親がずっとジャイアンツファンで、そのまま僕もジャイアンツファンになりました。幼い頃からジャイアンツ戦は毎日見ていましたね。KBS京都というテレビ局で6時から近鉄戦か阪神戦を見て、7時になるとジャイアンツ戦に変えるというのが日課でした。

 僕は中畑(清)さんが大好きで、ずっとファンでしたね。多分、子どもながらに自分にないガッツ溢れるプレーだったり、いつも絶好調っていう元気な感じだったりに惹かれたんでしょう。当時のジャイアンツは強くて、原(辰徳)さんが4番で、吉村(禎章)さんがいて。吉村さんが怪我をされる前とか『うわっ、この選手すごい選手になるんだろうな』って思ったのを覚えてます」

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