「古田さんはかなり先を行く監督だった」 元燕助っ人が成功できた4つの理由

2006年は“バントをしない2番打者”としてチーム最多の39本塁打を量産

 リグスさんは06年、その古田監督の下で“バントをしない2番打者”としてチーム最多の39本塁打を量産。「今でこそ、エンゼルスがマイク・トラウトを2番に置くなど、強打者を2番に起用するチームが増えましたが、古田さんは当時、かなり先を行く監督でした。彼は私に『打順は気にせず、いつも通りプレーしていい』と言ってくれました」と明かす。

「その年のソフトバンク戦だったと思いますが、同点で迎えた終盤、青木(宣親外野手)がシングルヒットを打った後、私に打順が回ってきました。通常、この状況なら2番打者は送りバントをしますが、古田監督のサインは『打て』。私は右中間にツーベースを放ち、ガン(岩村明憲内野手)とラミも続き、ビッグイニングとなって試合に勝ちました」。

 実際、リグスさんはヤクルトでの4年間で、犠打は1本も記録していない。新たに2年契約を勝ち取って迎えた07、08年は、30代中盤に差し掛かっていたこともあり、鼠径(足の付け根)ヘルニアの手術を受けるなど故障に悩まされ続け、不本意なシーズンを送った。

「私の故障に慢性的なものはありませんでしたが、キャリアを通して常にたくさん練習し、可能な限り一生懸命プレーしたので、プロ入りして15年で私の体は相当すり減っていたのです」

日本で成功できた理由を尋ねると、「4つあると思います。幸運にも若松監督、古田監督の下でプレーできたこと。素晴らしいチームメートたちが私を迎え入れてくれたこと。スワローズファンが良い時も悪い時も常に支え応援してくれたこと。大変だった来日当初から、ラミが面倒を見てくれたこと」と列挙したリグスさん。インタビューの最後は、日本のファンへのメッセージで締めくくった。

「日本の皆さんの前でプレーできた4年間は、常に感謝の気持ちでいっぱいでした。私にとって、皆さんは間違いなく世界で最高のファンです。皆さんのおかげで、私にとって日本はかけがえのない特別な場所になりました。またお会いできる日を楽しみにしています。ニャー!」

(取材協力・B-creative agency 亀田恭之)

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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