阪神エース藪恵壹氏の“神童伝説” 小学3年で6年チームに加入した少年時代

心残りとなった高校最後の試合「あれは絶対に勝たなきゃいけない試合だった」

 ピッチャー転向は中学2年の時だった。それまで転向の誘いもあったが「ピッチャーが嫌でやらないって言ってたんです」。藪氏の父も「骨ができてないから肘を痛めたり肩を痛めたりするだろうって考えがあったのか、小学生の時は僕にはピッチャーをやらせないって監督と喧嘩してましたよ」というほどだったが、秋の新人戦の前にエース左腕が故障。やむなくマウンドに立つと、3年生の春先に1回、練習試合で負けただけで「22連勝くらいしました」。夏の中体連では準優勝し、東海大会にまで駒を進めた。

 長い野球人生を振り返った時、心残りの試合が1つある。それが新宮高校3年生の夏、和歌山県大会の準々決勝で戦った和歌山県立桐蔭高との試合だ。

「あれは勝たなきゃいけない試合でしたね。桐蔭には鹿島君っていうスライダーのいい2年生がいて、いい試合だったんです。8回を終えて0-0の同点。こっちは5安打で、僕は8回まで2安打に抑えていたんです。でも、9回にパンパンと2本ヒットを打たれて0-1でサヨナラ負け。桐蔭は勝ち進んで甲子園に出ましたからね。あれは絶対に勝たなきゃいけない試合だったな」

 野球を続ける中で「理不尽なことはいっぱいありましたよ」と言うが、今でも野球は切っても切れない存在だ。解説者として活躍すると同時に、各地の野球教室や講演会に出向き、野球の普及に努める。そんな時、保護者に向けて言うことがあるという。

「落ち着きがない子は野球をやらせて下さい、野球に向いてますよって言います。僕は小学校の6年間、ずっと落ち着きがないと言われていましたから。でも、野球の試合中は落ち着いている暇はない。いろいろなところに目配りをしておかないと、隙があったら先の塁を狙おうという競技ですから。だから、子どもが落ち着きがないって心配している親御さんには言います。野球に向いてますよって」

 日本球界はもとより、メジャーとマイナーの米球界、メキシコ球界も知る藪氏が言うのだから、間違いはないはずだ。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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