秋山翔吾との出会いで知った“限界” 24歳で引退した元西武野手の決断と第2の人生
24歳で引退を決断、両親はトライアウトを進めたが「ここで区切りをつけたい」
24歳で引退を決断。両親はトライアウトを受けることを勧めたが「ここで区切りをつけたい」と、時間をかけて説得した。しかし、新たにやりたいことが決まっていたわけではない。「終わりかもしれない」と感じてはいたが、次を考えることはしていなかった。
「不安は常にありました。でも、シーズン中に『こういう勉強して準備をしよう』というのは違うなと思っていました。プロ野球選手には、なりたくてもなれない人がたくさんいる。そういう人たちのためにも、選手である以上『終わり』と言われるまで、できることをしっかりやり、ひたすら頑張ってきました。今後のことはゆっくり考えようと思っていた時に、球団からアカデミーコーチのお話をいただきました」
オフの日には体が動かなくなるほどに練習に打ち込んだが、1軍で活躍することはできなかった。それでも、努力を重ねて結果が出た時の嬉しさは格別だった。その思いを、アカデミーの子供たちに伝えたいと思っている。
「入団した時は、プロにいるレベルの選手ではなかった。自分が一番下手だったと思います。5年という時間はかかったけど、自分なりに努力して練習して、少しだけですけど1軍で結果を残すことができた。努力したからこそ、幸せな瞬間があったのだと思います。地道に続けていくことが大事だということを伝え、上手くなったと実感できる瞬間を作ってあげたいと思っています」
アカデミーでは感染症対策のためオンライン授業も導入された。慣れないパソコンの操作に戸惑いながらも、子供たちの上達の速さにやりがいを感じている。
「オンライン授業では、自分が経験してきたことや、やったほうがいいことなど、言葉でも伝わることを教えています。例えば『守備は打球がくる時だけでなく、前の段階でしっかり準備をするように』など、気持ちの部分が多いです。やっと通常の授業も始まったので、技術も面と向かって指導ができるようになりました。改めて野球は楽しいなと実感しています」
努力を重ねて掴み取った1軍の舞台。金子さんはその経験を誇りに、これまで同様悔いの残らない人生を送るため、子供たちと全力で向き合っている。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)