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沢村賞右腕・川崎憲次郎氏が語る“NO1投手” 驚愕した「ありえない曲がり」のスライダー

1990年代、ヤクルトは4度のリーグ優勝、3度の日本一になった。90~98年は名将・野村克也氏が率いて、黄金期を迎えた。多くの名選手たちが神宮球場のカクテル光線に照らされ、輝きを放っていた。戦っていた選手にしても、忘れられない記憶として刻まれている。93年の日本シリーズでMVPに輝いた川崎憲次郎氏に聞くと、数えきれない思い出がよみがえってくる。

ヤクルトなどで活躍した川崎憲次郎氏【写真:荒川祐史】
ヤクルトなどで活躍した川崎憲次郎氏【写真:荒川祐史】

川崎憲次郎氏が飯田哲也氏との対談で明かした同い年への複雑な思い

 1990年代、ヤクルトは4度のリーグ優勝、3度の日本一になった。90~98年は名将・野村克也氏が率いて、黄金期を迎えた。多くの名選手たちが神宮球場のカクテル光線に照らされ、輝きを放っていた。戦っていた選手にしても、忘れられない記憶として刻まれている。93年の日本シリーズでMVPに輝いた川崎憲次郎氏に聞くと、数えきれない思い出がよみがえってくる。

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 それは良き思い出も、悔しい記憶もある。1978年以来14年ぶり2度目のリーグ優勝を飾った92年。歓喜の輪に川崎氏はいなかった。キャンプ中に右肘を痛め、登板はない。「なんで優勝したのにそこに自分がいないんだ…」こみ上げていた思いを翌年への力に変え、2年ぶりの2ケタ勝利に、前年と同じ相手の西武相手に日本シリーズ2勝を挙げて、見事、MVPとなった。

 黄金期にしっかりと「働いたことがない」と輝かしい功績がありながらも、控え目に当時のことを振り返る。当時のヤクルトは毎年のように“エース格”が代わり、91年に15勝を挙げた西村龍次投手(ヤクルト、近鉄、ダイエー)や日米通算で182勝を挙げた現楽天GMの石井一久投手(ヤクルト、ドジャース、メッツ、西武)がチームを引っ張っていた時期もある。川崎氏は石井氏について「ここは負けられないという時にノーヒットノーランをしたり勝負強かった」と97年の横浜戦などを思い返す。90年代のヤクルト最強投手は誰かと問われたら、石井氏の名前を挙げるファンは多いだろう。

 そんな中、川崎氏に同時期にプレーした投手の“NO.1”を問うと、しばらく考えて、伊藤智仁投手と返ってきた。92年にヤクルトに入団し、1年目に7勝2敗、防御率0.91という成績を残したが、右ひじを故障。通算成績は37勝27敗25セーブ、防御率2.31。2ケタ勝利をマークしたことはないが、当時の野村監督をはじめ、伊藤智を知る人たちは“最高の投手”として名前を挙げている。ダイヤモンドのように「一瞬の輝き」ではあったが、忘れらないボール、ピッチングだった。

 年齢が同じ川崎氏は、隣同士でブルペンを投げたりすることもあった。そのスライダーの変化には「曲がりがエグい。普通じゃありえない曲がりをします」と目を丸くしたという。ただ同じ右投手のライバル。存在を認めながらも、「スピードはまあまあ同じくらい。僕はシュートで、アイツはスライダー。変化の仕方が違う。でも、やっぱりお互いがライバルで、お互いが自分のことを凄いと思っていた」と当時の思いを明かした。

 川崎氏は90年に12勝、91年に14勝、93年は10勝し、日本シリーズMVP。98年には17勝で最多勝のタイトルと沢村賞を獲得した。功績のかげにはライバルの存在も確かにあった。

「負けたくなかった。チーム内でライバル。当時は凄くても凄いって素直に認められなかったです。野球が終わっているから、素直にこう言えます」と懐かしそうに振り返っていた。飯田氏との対談では実際にプレーしたヤクルトの懐かしのメンバーとの思い出話や、ベストナインを選出し、話は大いに盛り上がっていた。

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