「田澤ルール」の通称に縛られた右腕の12年間 恩師の言葉に見せた笑顔の理由

ENEOS大久保監督の言葉「田澤ルールじゃなくて、大久保ルールの方がよかったよな」

 この12年間、田澤の「田澤ルール」に対する姿勢は変わらない。ルールができるきっかけとなったのは自分だし、ペナルティを知った上でレッドソックスと契約したのだから、日本でプレーすることになればルールに従う覚悟だった。だが、自分の後に続く選手たちにとって障害となり得るルールが生まれてしまったことだけ、心が痛んだ。

 今回の決定により、NPB12球団は今秋のドラフトで田澤を指名することが可能になり、田澤はNPBでのプレーが可能となった。自身の選択肢が広がったことに「素直にうれしいですし、周りの人に感謝したいと思います」と答えた34歳右腕は、同時にアマチュアから海外を直接目指したい後輩たちにとって「ルールが障害にならなくなったこと、そこが本当にうれしい」と笑顔。さらに、2018年にパナソニックから米ダイヤモンドバックス入りを決めた吉川峻平を“田澤ルール2号”と呼び、「彼に対してもよかったと思います」と安堵した。

 菊池雄星(現マリナーズ)しかり、大谷翔平(現エンゼルス)しかり、アマチュアから直接米球界を目指したいという選手が現れると、そのたびに世間を賑わせた「田澤ルール」という言葉。田澤はこれまでたびたび「う~ん、決していい意味では使われませんよね」と苦笑いでやり過ごしてきたが、12年間も自分の名前がペナルティの通称として使われて、気分がいい人は誰もいないだろう。

 ルール撤廃のニュースが報じられると、恩師、友人、知人ら数多くの人たちから連絡を受けた。その中の1人が、社会人時代の恩師であり、渡米後も帰国後も気に掛けてくれているENEOSの大久保秀昭監督だった。教え子がNPBでもプレーできるようになった吉報を喜んだ大久保監督の言葉を、田澤は笑いながら紹介した。

「『田澤ルールじゃなくて、大久保ルールの方がよかったよな』って。僕も『できれば、そっちの方がよかったと思います』って伝えました(笑)」

 田澤ルールが撤廃されたことは、田澤自身の選択肢、海外リーグでプレーしたいと願うアマチュア選手の選択肢を広げただけではなく、12年間「田澤ルール」という言葉に縛られてきた右腕の心が解き放たれたことも意味するのかもしれない。ルールの撤廃と合わせて「田澤ルール」という通称もなくなり、今後は同様の規定と合わせて同様の通称を作らないことを願いたい。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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