「頭部死球より、衣笠さんの方が怖かった」元広島・高橋慶彦氏が忘れ難い“事件”

広島・ロッテで活躍した高橋慶彦氏【写真:編集部】
広島・ロッテで活躍した高橋慶彦氏【写真:編集部】

衣笠氏からの一言で目覚める「ボールが怖いなら、野球なんかやめてしまえ、コラッ!」

 かつて広島カープのスター遊撃手として圧倒的な実力と絶大な誇った高橋慶彦氏。これまで3回に渡って現役時代を振り返っていただいた。今回はあの高橋氏でも「怖かった」という先輩の話。自身は甘いマスクで若い女性ファンの心を鷲づかみにしたが、周囲にはなぜか、2215試合連続出場の日本記録保持者で“鉄人”の異名を取った衣笠祥雄氏、守護神・江夏豊氏、そして古葉竹識監督(当時)らコワモテが多かった。“怖くて、やさしい”先輩たちとの恐るべきやり取りを明かす。

 高橋氏は1974年ドラフト3位で東京・城西高からカープ入りし、77年後半から20歳にして遊撃のレギュラーに定着。79年に33試合連続安打の日本記録を樹立し、同年の日本シリーズでMVPに輝いたのをはじめ、盗塁王を3度獲得するなど活躍。89年オフにロッテへトレードされるまで、15年間カープに在籍した。豪傑ぞろいだったカープの先輩の中で、高橋氏が「大好きだった」のは、衣笠氏と江夏氏。特に「衣笠さんの言葉に助けられた」と言う、忘れ難い事件があった。

 高橋氏はレギュラーを獲得してから間もなく、ヤクルトのエース・松岡弘氏の剛速球を頭に食らい、以後しばらく残像が目に焼き付き、打席で投球に対し思わず腰が引けてしまうようになった。すると、衣笠氏にこう一喝された。「慶彦、おまえよ、ボールが怖いなら野球なんかやめてしまえ、コラッ!」。

 これを境に、死球に対する恐怖心は消えた。「だって、ボールより衣笠さんの方が怖いわけよ。刃物で刺されるのと、デコピンとどっちが怖いか、という話よ」と語ったのは、偽らざる本音だ。

 もっと怖かったのが、高橋氏をレギュラーに抜擢した恩師の古葉監督だった。やはり高橋氏が試合中に頭部へ死球を受け、グラウンド上に倒れ込んだ時のこと。駆け寄った古葉監督からかけられた言葉は、「大丈夫か!?」ではなく、なんと「(一塁へ)行くんか、行かんのか、どっちや、おまえ!?」だった。「俺、思わず『行きます』と答えてしまったもの」と高橋氏。しかし、周囲が「いや、ヤバい、ヤバい」と制止し、結局救急車に乗せられ病院へ搬送されたのだった。

 背筋が凍るようなエピソードだが、高橋氏は「古葉さんも衣笠さんも確かに怖かったけれど、“怖いは、やさしい”だから。俺に興味があるからこそ、叱ってくれるんであってね。逆に、『いいんじゃない? 気にせんでいいよ』なんて優しいことを言っている先輩の方が、実は怖かった。俺に興味がないから、いざとなったら黙ってバッサリ切られるよ」と述懐する。

 また、「好きな人に叱られるのが、1番効く。好きだからこそ、耳に入ってくる。嫌いな人に何を言われても、聞かないから」というのも事実だった。

 以上のことを、高橋氏は現役引退後、ダイエー(現ソフトバンク)のコーチを務めていた時に再認識する機会があった。当時、脇坂浩二氏という右投左打の野手がいて、主に代打・代走で活躍していた。その脇坂氏が「俺、慶彦さんが怖いんです」と言う。「俺のどこが怖いんや?」と聞くと、「好きだから、怖いんです」と答えた。

 高橋氏は「仮にケンカをしたら、俺よりずっと強そうなやつだったけどね……。選手にゴマをすっても、足元を見られるだけで意味はないけれど、きっちり自分のスタンスを取りながら、好きにさせたら勝ちやね」とうなずいた。そして「好きにさせたら、何でも言うことを聞くもの。こちらから情報を出せば、どんどん吸収する。逆に、正しいことを言っても、選手が疑問を持っていたら、油を引かれたように弾かれる。まずは、吸い込む土壌を作らないと」と説明した。

 選手に好かれるには、どうしたらいいのか。「やはりスタンスがはっきりしていて、人を差別・区別しないことは大事だと思う。年俸何億円の選手だろうと、何百万円の選手だろうと、やっちゃいけないものは、やっちゃいけない」と語り、「それに、選手に良いクセが付くまで、根気強く教えることだろう」とも付け加えた。振り返ってみれば、どれもこれも元はと言えば、大事なことは全て、広島カープが教えてくれたのだった。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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