五十嵐亮太が貫いた「カッコよさ」 燕OB飯田氏が外野から見てきた右腕の成長

ヤクルト・五十嵐亮太【写真:荒川祐史】
ヤクルト・五十嵐亮太【写真:荒川祐史】

高校時代の先輩が五十嵐の恩師だったという縁 「お疲れ様」とメッセージ

 今季限りで23年間の現役生活に幕を下ろすヤクルト・五十嵐亮太投手。ヤクルト、ソフトバンクで同僚であり、コーチと選手という関係だった飯田哲也氏は、後輩に「お疲れ様」とスマートフォンからメッセージを送った。「お世話になりました」という返信を見て、22年前の日のことが蘇ってきた。

 1997年夏。五十嵐は千葉県内屈指の豪腕だった。甲子園に出場してはいないが、敬愛学園からドラフト2位でヤクルトに入団。高卒ながら高い評価を受けた。同校で現在も野球部を率いる古橋富洋監督は同じ県内の拓大紅陵高校出身。飯田氏の2学年上の先輩だった。

「古橋さんの教え子が亮太だった。『頼むね』と言われたので、初めて会った時は『聞いているよ』と挨拶したのを覚えています」

 当時の飯田氏はゴールデングラブ賞の常連、ヤクルト黄金期を支えた中心メンバーだった。当時は30歳と高卒ルーキー。年の差は一回り違うが、特別な気持ちで見つめていた。

「彼は本当に努力をする選手だなと思って見ていました。研究熱心というか、昔から『俺はストレートで行くんだ』という気概が感じられました。打たれようが、打たれまいが、芯の強い男だなと思って見ていました」

 五十嵐が2年目以降、1軍で一緒になってからというもの、飯田氏は野手の目線から助言を伝えていた。それを真剣に聞き入る五十嵐がいた。特に伝えていたのは、走者から見た投手の特徴だった。

「投手というのは一塁に走者を出した後、1・2・3球目までは走られちゃいけないと思って警戒してくる。だけど、勝負する場面に進むに連れてバッターに集中してしまう。それはダメだよ。投手はバッターに投げるばかりになってはいけないよ」

変化球は投げるが、基本的にはストレートを磨き続けた

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