「無駄なこと」が生んだ“江夏の21球” 広島OB高橋慶彦氏が遊撃から目撃した衝撃

野球には『無駄の必要性』があるのではないか

 実際は試合で起きないかもしれないことでも、想定するのが練習だ。野球経験者ならばピンと来るかもしれないが、例えば、守備のとき。走者を背負った場面で、捕手が投手にボールを返す際、二塁手と遊撃手が投手のカバーリングをする。投手がボールを後ろに逸すのを防ぐ役割を担う。少年野球ではカバーした選手がボールを拾うことはあるが、プロ野球でそれを防いだのはほとんど見た記憶はない。

「プロ野球選手でも無駄なことはやっている。成功したのを見たことある? それが成功するのって1万回に1、2回あるくらい。すごく無駄がある。でも、それをやることが大事なこと。自分たちにとって一番良いのは、無駄が無駄で終わることなのだから」

 限りなく少ない可能性の中で準備しておくことの大切さを、あの日本シリーズで学んだ。

「江夏さんはカーブだけなく、右打者のアウトローの直球のコントロールもとにかくすごかった。前の球と同じコースなんじゃないかと思うことが何度もあった。当時のカープのピッチャーは、みんなコントロールが良かった。大野豊さんも池谷公二郎さんもペー(北別府学)も。後から見ていて、楽しかった」

 正確無比なコントロールも積み重ねた投球数があったから。その中のボール球は、無駄だと一言で片付けることはできない。目指すところへ到達するために必要な“遠回り”だってある。野球には無駄の必要性がある――。高橋氏は尊敬する先輩が体現し、そして語り継がれるシーンにそう思うのだった。

(Full-Count編集部)

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