「ルーキーがサングラスかよ」苦言もどこ吹く風… “ヒゲの齊藤”が明かす豪快人生

球界屈指の酒豪、森繁和氏や佐藤義則氏と馬が合った

 帰国の段階になって、他の3人はヒゲが薄かったり、格好いい形に伸びなかったりして、きれいに剃り落とした。齊藤氏だけが伸ばし続け、その後口ヒゲだけを残して整えた。同じく口ヒゲを蓄えていた外国人内野手のフェリックス・ミヤーン氏からは「ブラザー!」と呼ばれ、主砲の松原誠氏からも「いいじゃないか。伸ばせよ」と背中を押された。最終的に、現役生活を通して口ヒゲを蓄え続けた齊藤氏は「ファンの方々に『ヒゲの齊藤』として覚えてもらえたから、本当に伸ばしてよかった」と言う。

 実は、齊藤氏にはもう1つ、「ヒゲの齊藤」以上にチーム内で定着していたニックネームがあった。その名も「バッカス」。ローマ神話の“酒の神”のことだ。「名付け親はたぶん、大商大時代のOB会長ですよ」と苦笑い。3年生の秋、野球部のパーティーの席でOB会長から「今季のリーグ戦で、おまえは手を抜いていた。真面目にやれ」と叱責され、「カチンときた」。アルコールの力を借り、酔ったフリ半分で、件のOB会長に「ああいうことは、ちゃんと練習を見に来てから言ってくれ」と絡んだ。これが、プロ入り後も続くニックネーム誕生のきっかけとなった。

 実際、当時の齊藤氏は球界屈指の酒豪として知られていた。特に、同い年で大学日本代表の同僚だった森繁和氏(前中日監督)、佐藤義則氏(前楽天コーチ)とは馬が合った。シーズンオフなどに3人で酒席をともにすると、「朝まで誰1人帰ろうとしなかった。時計も見なかった」。ちなみに「若い頃は主に、比較的安価なサントリー角瓶を飲んでいた。その後サントリーリザーブに格上げして、次がブランデーのレミーマルタン。最もステータスが高かったのは、ヘネシーをクラッシュアイスで飲むことだった。1晩で1人ボトル1本は楽に飲み切った」とか。

 現役17年間で8人の監督に仕えた齊藤氏だが、酒絡みで印象深いのは、82~84年に指揮を執った故・関根潤三氏。遠征先では「移動日は若い選手を連れて歩いていい。ただ、試合がある日は他の選手を連れていかないでくれ。その代わり、おまえ自身は何時に帰ってきても構わない。大人として認めている」と言われていたという。「でもね、1人じゃ間が持てなくて、そんなに長くいられない。午後11時から午前1時くらいまでには宿舎ホテルの部屋に戻っていた。結局、うまく操縦されていました」と懐かしむ。

 破天荒なエピソードを残しながら、通算128勝125敗133セーブと大車輪の活躍をした齊藤氏。次回は、新人王に輝いたプロ1年目の77年、抑え専門ながら規定投球回数に達し最優秀防御率のタイトルを獲得した82年を中心に振り返ってもらう。

【動画】「ヒゲの齊藤」が生まれたひょんな秘話…齊藤明雄氏が豪快人生を明かした映像

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