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「おい小僧っ子!」バット向け張本氏から怒号… 齊藤明雄氏が語る新人王の裏側

DeNAの前身として神奈川県川崎市を本拠地としていた「大洋ホエールズ」、1978年の横浜市移転後の「横浜大洋ホエールズ」、93年の「横浜ベイスターズ」改称後を通じ、17年間在籍した齊藤明雄氏。時にはエース、時には抑えの切り札として活躍した現役時代を自ら振り返る連載の第2回は、球界の大先輩たちとのエピソードを語った。

大洋、横浜大洋、横浜(現DeNA)で活躍した齊藤明雄氏【写真:荒川祐史】
大洋、横浜大洋、横浜(現DeNA)で活躍した齊藤明雄氏【写真:荒川祐史】

1年目の春季キャンプで度肝抜かれた「入る所を間違えた」

 DeNAの前身として神奈川県川崎市を本拠地としていた「大洋ホエールズ」、1978年の横浜市移転後の「横浜大洋ホエールズ」、93年の「横浜ベイスターズ」改称後を通じ、17年間在籍した齊藤明雄氏。時にはエース、時には抑えの切り札として活躍した現役時代を自ら振り返る連載の第2回は、球界の大先輩たちとのエピソードを語った。

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 ドラフト1位で大商大から大洋入りした齊藤氏。プロ1年目の77年、静岡・草薙で行われた春季キャンプのブルペンで、いきなり度肝を抜かれた。当時の大洋の投手陣は、エースの平松政次氏をはじめ本格派ぞろい。「自主トレ期間中はそうでもなかったが、2月1日にキャンプインしてユニホームを着た途端、目の色が変わった。誰もが勢いのある球を投げていて、自分はとても通用しない、入る所を間違えたと思った」と肩をすくめる。

 そしてキャンプ終盤、22歳の誕生日を迎えた2月23日に、紅白戦に登板して8連打を食らった。その夜、大商大時代の監督に電話をかけている。「もともと監督には、プロ入りを決めた時点で、冗談で『5年で芽が出なかったら、あとは(再就職先の斡旋を)よろしくお願いします』と言ってあったけれど、あの夜には『3年にして下さい』と言った。寿命が2年縮まった」と明かす。監督からは「やるだけやって、帰って来い」という言葉をかけられた。

 やるだけやってダメならしようがない、と考えると腹が据わった。朝晩のランニングを欠かさず、足腰を鍛えた。球種は140キロ前半のストレートと2種類のカーブだけだったが、自信のあるコントロールに磨きをかけ、緩急をつける研究をした。

 1年目は8勝9敗、防御率4.39で新人王を獲得。半分の4勝を、この年セ・リーグ2連覇を達成した巨人から稼いだ。巨人戦だけがテレビで全国中継されていた時代で、衛星放送もインターネットもまだなかった。「勝ちたいというより、試合開始から放送開始まで1時間くらいあったので、なんとか3回くらいまで持ちこたえてテレビに映りたい、という気持ちが強かったよ」。

 当時の巨人打線は、王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)、柴田勲氏、高田繁氏ら栄光のV9戦士に加え、日本ハムから移籍し2年目の“安打製造機”張本勲氏ら、そうそうたる顔ぶれだった。ある試合で、張本氏に対し内角球を2球続けると、バットの先端を向けられ「おい、小僧っ子!」と“喝”を入れられた。それでも、強気で鳴る新人は臆するところなく、次の球もまた内角に投じた。「球種の少なかい僕は、内角を突かなければ生きていけないから。もっとも、3球目の内角球は、バチンとヒットにされました」と笑う。

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