「もう地獄ですよ」「来年、もう1回」… 広島ドラ3大道が恩師から得た“卒業証書”

「まぁ、あいつは、何かと初めてずくしでしたよ」

 4年の歳月。もちろん、指摘はこれだけじゃない。助言は数知れず。言われたことができず、自分に苛立ったのはしょっちゅうだ。だが、それも「監督の理想に近づけば上(プロ)に行ける」との思いがあったから。薄れるプロへの憧れが消えなかったのは、常に正村監督の“理想”を求めたからだろう。

 八戸の冬は寒いというよりも痛い。入寮した日、大道はキンと冷える玄関の鏡の前でシャドーピッチングをはじめた。「正村監督と『見てほしいのかな』と話していた覚えがあります。練習したいのなら、室内練習場もあるので」とは当時のマネージャー。その2、3日後、監督室の扉はノックされた。

 次の取材先に向かっていると、スマートフォンに着信が入った。正村監督からだった。大道が昨年、今年と1月1日に「あけましておめでとうございます」と電話をかけてきたという話を教えてくれた。元日に選手から電話が来ることも、連日のようにつきっきりでシャドーピッチングを見たことも前例がない。それも、入寮したての新入生である。

「まぁ、あいつは、何かと初めてずくしでしたよ」

 自灯明、法灯明。これから踏み入れるのは自ら明かりを灯していく世界。そこで壁があったとしても、これまで積み上げてきたものが支えになる時がくる。

「最後の東北福祉大戦なんて、見事なもんだよ。ムカつくんだけど、楽しそうだったもん」

 そう言って、肩を揺らした正村監督。その言葉は、「僕という投手を作ってくれた」という指導者冥利に尽きるセリフを残した教え子へ送る“卒業証書”のようだった。

(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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