長嶋茂雄氏から諭す電話も… 高橋慶彦氏が明かすトレードの真相とカープへの愛

広島などで活躍した高橋慶彦氏【写真:編集部】
広島などで活躍した高橋慶彦氏【写真:編集部】

トレード、現役引退の噂が飛び交った時に鳴った長嶋茂雄氏からの電話

 どんな名選手にも、現役引退の時は必ず訪れる。かつて広島黄金期を「1番・遊撃手」として牽引した高橋慶彦氏の場合は、阪神に在籍した1992年限りでユニホームを脱いだが、「俺は広島を出された89年に事実上終わっていた」と言い切る。

 高橋氏は1974年ドラフト3位で東京・城西高(現・城西大城西)から広島入りすると、名将・古葉竹識監督に見いだされ、俊足を生かしスイッチヒッターとなることを命じられた。驚異的な練習量でこれをものにし、79年には33試合連続安打の日本記録を樹立。在籍15年で盗塁王を3度、ベストナインを5度獲得するなど輝かしい実績を残した。

 1989年のシーズン最終戦終了後、当時の山本浩二監督からトレードを通告されたが、「なんとなくそうなることはわかっていた」と淡々と受け止めた。というのは、2年前の87年、選手会長を務めていた高橋氏は、開幕2日前の夜にファン参加の激励会が設定されたことに対し「時期が悪い。ナイター開催の開幕戦へ向けて夜間も練習したい」と抗議。これが受け入れられなかったことから、激励会に参加せず、球団から2週間の謹慎を科せられた。

 当時の高橋氏は、恩師の古葉監督が85年限りで退任。86年は阿南準郎監督の下でリーグ優勝を果たしたが、西武との日本シリーズでは、3勝1分からまさかの4連敗を喫し日本一を逃す屈辱を味わっていた。それだけに、87年のシーズンに賭ける思いはひとしおだったのだ。

 謹慎中、トレードや現役引退の噂が飛び交い、元巨人監督で当時評論家の長嶋茂雄氏が高橋氏に電話をかけ「慶彦、辞めることはいつでもできる。早まるな」と諭したほどだった。結局、この年も謹慎後、118試合に出場し打率.281、28盗塁と活躍したが、以降、球団との間には微妙な空気が流れるようになった。

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