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「野村再生工場」とは何だったのか? 川崎氏&飯田氏が明かす“ノムさんの教え”

2020年2月に急逝した故・野村克也氏。南海やヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、9シーズンに渡って指揮を執ったヤクルトでは4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた球史に残る名将だった。その采配は「野村ID野球」と呼ばれ、また他球団から放出された選手を復活させ「野村再生工場」とも称された。

2019年のヤクルトOB戦に出場した野村克也さん【写真:荒川祐史】
2019年のヤクルトOB戦に出場した野村克也さん【写真:荒川祐史】

野村監督が良く話していた「自分がプロでどうやって生きていくんだ?」

 2020年2月に急逝した故・野村克也氏。南海やヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、9シーズンに渡って指揮を執ったヤクルトでは4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた球史に残る名将だった。その采配は「野村ID野球」と呼ばれ、また他球団から放出された選手を復活させ「野村再生工場」とも称された。

 野村監督のもとで、当時のヤクルト黄金期を支えた川崎憲次郎氏と飯田哲也氏がFull-CountのYouTubeチャンネルにおいて対談。数々の選手を生き返らせてきた「野村再生工場」の“真実”を語っている。

 田畑一也や辻発彦(現西武監督)、吉井理人(現ロッテ投手コーチ)、山崎武司ら「野村再生工場」によって復活を遂げた選手は数多い。1989年にヤクルトにドラフト1位で加入し、チームの柱として4度の2桁勝利をマークした川崎氏は「野村再生工場って言いますけど、技術もそうですけど、精神的な再生もあると思います。そっちの方が大きいと思います」と語る。

 技術的な面での指導ももちろんのことながら、選手たちの復活には野村監督によって精神面を建て直されたことが大きいのだという。

 野村監督によって適性を見出され、捕手から外野手にコンバートされた飯田氏は「『自分がプロでどうやって生きていくんだ?』という話は良くしていました」と振り返る。自らの生きる道を見出すことを野村監督は選手に求めた。「左投手なら左のワンポイントでも生きていけるし、足が速ければ代走で生きていけるし、守備固めもそう。『このチームにとってお前は何で生きていくんだ?』という話は良くしていました」という。

 もともと捕手でプロ入りした飯田氏だったが、強肩と俊足を武器としていた。1991年にチーム事情から急遽、中堅手として起用されると、一気にブレーク。そこから中堅手として7年連続でゴールデングラブ賞を受賞するなど、球界きっての名外野手として鳴らした。強肩と俊足。まさに野村監督が話していた“生きていく術”を生かす形となったのだ。

 川崎氏はこうも付け加える。「『プロっていうのはスペシャリストが欲しいんだ』と良く言ってましたね、ノムさんは。足が超速いとか、バントが超上手いとか。ここっていう時に出せる選手が使いやすいって言っていました」。

 選手個々が持つ特徴、長所を見出し、それを最大限に生かせるように教え、考えさせる。それこそが、川崎氏と飯田氏が感じ、語った「野村再生工場」の在り方だった。

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