「誰にも渡したくなかった」 元横浜大洋エース、選手寿命縮めた開幕投手の自負と後悔

野球塾で指導する遠藤一彦氏【写真:宮脇広久】
野球塾で指導する遠藤一彦氏【写真:宮脇広久】

現在は横浜市の野球塾で小中学生を指導「ケガをしたら休め」強調

 現役最終年の92年にも3勝を挙げ、翌年の現役続行へ意欲を持っていたが、シーズン終盤に球団から「構想外」の通告。引退か、他球団への移籍を模索するかの決断を迫られた。最終的には、恩師と慕う元監督の関根潤三氏に電話をかけ、「“大洋の遠藤”で終わる方がいいだろう」という言葉に背中を押された。

 その年の10月7日、本拠地・横浜スタジアムで行われた巨人戦が引退試合となり、先発し2回無失点。この試合で、高卒ルーキーにして7回からプロ初登板を果たしたのが、今季からDeNA監督を務める三浦大輔氏だった。遠藤氏は引退セレモニーで、長年エースと守護神の2枚看板として共にチームを支えた1歳上の斉藤明夫氏と抱き合い、涙を流した。

 遠藤氏の引退と歩調を合わせたかのように、「横浜大洋ホエールズ」の名称は消滅。翌93年から「横浜ベイスターズ」と改称された。ベイスターズは98年、遠藤氏が現役時代に1度も経験できなかったリーグ優勝と日本一を達成。その時、遠藤氏は2軍投手コーチを務めていて、一歩引いた立場で歓喜を味わった。

「名前が変わったとはいえ、自分が入団したチームが優勝したのはうれしかったです。僕らの現役時代に若手だった石井琢朗、シゲ(谷繁元信氏)、野村(弘樹氏)、(三浦)大輔らが主力に成長して勝ち取っただけに、親近感がありました」と目を細める。そして、クライマックスシリーズの常連となった現在のDeNAを「本物のプロ集団になった」と評する。

 遠藤氏は現在、横浜市の野球塾「JAA(ジャパンアスレチックアカデミー)」のピッチングインストラクターとして週4回、小中学生を指導。この仕事に就いてから丸14年が経過しようとしている。技術を教えるのはもちろんだが、自身の現役時代の苦い経験から、子供たちに「ケガをしたら休め」と強調する。懐かしき「横浜大洋ホエールズ」の名称は過去のものとなったが、遠藤氏は65歳となった今も、同じ横浜で変わることなく野球に情熱を注いでいる。

「JAA(ジャパンアスレチックアカデミー)」
練習場:横浜市港北区北新横浜1-12-1 あおばスポーツパーク1階
事務局:横浜市港北区北新横浜1-7-5-103
電話:045-947-2760

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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