元巨人・篠塚和典氏の引退の真実 「させてしまった…」恩師・長嶋茂雄氏への“心残り”
応援してくれる人に伝えてから、最後のシーズンを迎えたかった
チームは序盤から順調に白星を伸ばしていた。5月には槙原寛己氏が完全試合を達成。松井、落合、コトーのクリーンアップは強力だった。篠塚氏の出場機会は減っていった。節目でもある来季20年目を最後に……そんな未来予想図を描き始めていた。
「辞めるのであれば、今まで応援してくれた方々に伝えてから、シーズンに入りたかった。20年という目標があったので、20年目に入ったときにみんなに言おうかな、と」
しかし、潮目が大きく変わった。チームは中日との勝った方が優勝の「10・8」決戦に勝利し、4年ぶりのリーグ優勝を達成。1989年以来、そしてミスターにとっても初めての日本一に向かってシリーズを戦う準備を整えていた。
大事なシリーズ直前、ミスターから監督室に呼ばれた。話の内容は今でもはっきりと覚えている。
「『ユニホームを脱いだらどうするんだ?』と。もう引退をする前提で話をされまして……。『まだ、考えていません』と伝えました。ミスターからは『そうか、球団としても、いろんな考えもあるから』『若い選手を育てないといけない』という言葉を聞いた時に、(引退しないといけないと)そういう気持ちになりました」
篠塚氏はシリーズが終わった後にもう一度、話をする約束をかわし、「わかりました」と言い、部屋を出た。
「私はミスターがチームを作っていかないといけないという考えを尊重しながらも、自分としてもやっぱり現役を続けたいという思いもありました。もう1年、やりたかったのは自分のためではなくて、応援してくれていた人に伝えたかった。ここで辞めてしまったら、急なことになってしまう。なので、そういう部分では心残りっていうのはありましたね」
その年、巨人は西武と日本シリーズを戦った。篠塚氏は敵地・西武球場での第4戦、代打での出場1打席だけだった。
「自分の中では、最後は本拠地の東京ドームで出して欲しいなという思いもありました。試合の流れもあるし、監督やコーチが決めることだから、自分からはなかなかね……。その辺は(打撃コーチだった)中畑(清)さんは考えてくれるかなと思ったですが、考えてくれてなかったですね……(笑)」
最後の打席は中飛だった。大きな力にはなれなかったが、巨人は西武を破り、1989年以来の日本一に輝いた。ミスターが初めて、日本シリーズで宙を舞った。
「巨人以外のユニフォームを着ることは全く考えていなかった。やっぱり戻ってきたばかりのミスターとまた同じ場所でユニホームを着られて、そこで辞めるのが一番いいのかなと感じました」
篠塚氏が現役生活にピリオドを打った背景にはミスターとの強い結びつきがあったのだった。
(Full-Count編集部)