“王キラー”安田猛さん死去、ライバル・王貞治会長が思い「度胸がある投手でした」

ソフトバンク・王貞治会長【写真:藤浦一都】
ソフトバンク・王貞治会長【写真:藤浦一都】

世界新記録756号の翌日「757号を彼から打ったことを思い出しました」

 ヤクルト一筋10年間で通算93勝を挙げた安田猛さんが、73歳で亡くなった。力感のない小気味いいサイドスローで「ペンギン投法」の異名をとった元左腕は、当時巨人の王貞治・現ソフトバンク球団会長にめっぽう強く“王キラー”と呼ばれた。そのライバルの訃報に、王会長が思いを寄せた。

 王会長は球団を通して「安田さんは少し変則的な投げ方でしたが球に力があり、テンポが良くて度胸がある投手でした」とコメント。数々の勝負を繰り広げた間柄で「訃報に接し757号を彼から打ったことを思い出しました。病魔との闘いは大変だったでしょう。安らかにお眠りください」と綴った。1977年9月3日のヤクルト戦(後楽園)で世界記録の756号を放った翌日、757号を放った相手が安田さんだった。

 安田さんは、福岡・小倉高から早稲田大、大昭和製紙を経て1972年にドラフト6位でヤクルトに入団。1年目から7勝5敗、防御率2.08の好成績を残し、最優秀防御率と新人王に輝いた。翌1973年には、プロ野球記録の「81イニング連続無四球」も樹立。生前「新人王は毎年出るけど、この記録ばかりはこれから先も抜かれんのじゃないかな」と語っていた。

 1978年には15勝を挙げ、初優勝の原動力に。1981年の引退後はコーチ、スコアラーなどを務めた。70歳を迎えた2017年には、母校である福岡・小倉高のコーチに就任。しかし直後にステージ4のスキルス性胃癌と診断され、余命1年程度の宣告を受けた。

 闘病生活では、王会長から激励の色紙が届くなど2人の交流は続いていた。2019年7月には、ヤクルトの球団設立50周年を記念したOB戦にも出場。母校・小倉高の甲子園出場を夢見ていた。

(Full-Count編集部)

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