なぜヤクルト雄平は打者転向で大成できた? 引退会見で明かした“小さな成功体験”

「投手は投げるだけだが、野手は走・攻・守どれか1つで生き残れる」

 2014年にはリーグ6位の打率.316、23本塁打、90打点をマークし、外野手としてベストナインに輝く。翌2015年には、10月2日の阪神戦(神宮)で1-1の同点で迎えた延長11回にサヨナラ打を放ち、この瞬間にチームにとって14年ぶりのリーグ優勝を決めた。2018年にもキャリアハイの打率.318(リーグ7位)を残している。時には明らかなボールでも打ち返す、豪快さが魅力だった。

 投手として1軍デビュー後、打者へ転向して成功した例は、近年では石井琢朗氏(現巨人3軍野手コーチ)が代表的。横浜大洋(現DeNA)に投手として入団し、通算28試合、1勝4敗を記録したのちにプロ4年目・21歳で内野手に転向し、通算2432安打を積み重ねた。現役では、2006年ドラフト1位で西武に入団し、投手として通算41試合、1勝4敗1ホールド、6年目の12年の9月に外野手に転向してレギュラーとなった木村文紀(現日本ハム)くらいで、雄平の活躍は稀な例と言える。

「投手は概ね投げるだけだけれど、野手には走・攻・守の3つがある。どれか1つでもチームにとってプラスになれれば、プロとして生きていけるかもしれない」との思いから、走っては通算41盗塁、打っては881安打、守っても強肩で鳴らし、手を抜くところがなかった。家族の支え、明るくポジティブな人柄、猛練習を厭わない体力と根気、なりふり構わぬ姿勢が雄平を成功に導いた。

 ヤクルト一筋19年目・37歳で引退も、しばらくはトレーニングを継続するという。「子どもの頃からずっと野球をやってきて、急にやらなくなるのは怖い。現役の体でいられるうちに試してみたいこともある」と語る。これは、あのイチロー氏が2019年3月の現役引退にあたって「多分、明日もトレーニングはしてますよ。それは変わらない。僕はじっとしていられないから」と吐露したことを彷彿とさせる。こんな“野球の虫”ぶりこそ、稀有な存在感で球史に名を刻むことができた最大要因かもしれない。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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