“佑ちゃんフィーバー”とは何だったのか? 経済効果58億円も…忘れられない衝撃
入団会見を行った思い出の札幌ドームで…17日に引退登板
日本ハムの斎藤佑樹投手が17日のオリックス戦(札幌ドーム)で現役最後の登板に臨む。現役引退が発表されて数日でチケットは売り切れ。新型コロナウイルスの感染拡大で、現在スタンドでは大きな声を出すことはできない。それでも最後まで、多くの人に見守られながらグラウンドに別れを告げることになりそうだ。高3夏から斎藤に付きまとった“フィーバー”の文字。日本ハム入団当時の大騒ぎを振り返ってみたい。
2010年秋、日本ハムが斎藤をドラフトで引き当てると、どこに行っても人の波が付きまとうようになった。2006年夏の甲子園、駒大苫小牧高との決勝での引き分け、さらに再試合という死闘を経て優勝した“ハンカチ王子”の人気は、早大での4年を経ても衰えることがなかった。
12月9日には入団発表が通常のホテルではなく札幌ドームで行われ、集まったファンは8200人。最高気温が2度で雪もちらつく中、2500人が行列を作り開門を待った。マウンドに立ち、当時の梨田昌孝監督がボールを受けるセレモニーが行われると大歓声が上がった。このころ、北海道内のシンクタンクは斎藤による経済効果を「58億円」と試算してもいる。
年が明けて2011年、新年早々2軍本拠地の鎌ケ谷はざわついていた。球団の寮に入る斎藤、自主トレする斎藤を待つ人は日ごとに増え、1月16日の新入団選手歓迎式典ではついに1万1000人に達した。例年は屋内練習場で行っていたものを屋外の球場で行い、スタンドにも人を入れたが追いつかなかった。球場外周から見まもった人々からも歓声が上がった。
この頃、地上波テレビ局は午前から昼間にかけてのワイドショーで鎌ケ谷の模様を連日生中継。空撮のヘリコプターが飛んだこともあった。自主トレではほとんど野球らしい動きはない。それでも斎藤の姿をカメラは連日追い続けた。
キャンプ地の名護でもフィーバーは続いた。初の実戦登板に選ばれた相手は韓国プロ野球のサムスン。収容4000人だった旧・名護市営球場には斎藤を一目見ようという人波で溢れ、5200人が集まった。斎藤による沖縄県内への経済効果は15億円と試算された。ワイドショーの生中継も相変わらず続いていた。
斎藤は2年目に右肩を痛め、1軍登板が減っていった。昨秋には右肘も故障し、必死のリハビリのかいあってマウンドに戻って来た。いつしかフィーバーにまとわりつかれることは減ったが、2日の2軍戦でマウンドに上がった際には「時には厳しく、時には愛のある声援を、もう選手として聞くことができないと思うと、とても寂しい気持ちです」と挨拶し拍手に包まれた。現役選手として迎える最後の日、どんな光景が現れるだろうか。
(Full-Count編集部)