生死さまよった父、前例なき手術、イップス…元ドラ1左腕が引退固辞して選んだ戦力外

球団から引退試合の開催を提案されたが、戦力外を受けることを選んだ【写真:荒川祐史】
球団から引退試合の開催を提案されたが、戦力外を受けることを選んだ【写真:荒川祐史】

痛みを抱えながら続けた登板「走ったら次の日は歩けない」

 2016年は主に中継ぎとして52試合に登板。戦力にはなったが、一向に腰の痛みは消えない。あらゆる病院を受診し、自らも書籍を読み漁ったが、原因がわからない状況では球団も手術を許可してくれなかった。腰をかばったせいで股関節も不調をきたす。「走ったら次の日は歩けないというのが続きました。周りは『何でアイツ走んないんだろう』って思ってたんでしょうが」。崩れた体のバランスは肩まで及び、注射を打ちながらマウンドに上がった時期もあった。

 鬱屈とした気持ちに、答えが見つかったのは2018年。「椎間孔狭窄症(ついかんこうきょうさくしょう)」。初めて聞く診断名だった。一般的には加齢による椎間板の老化や腰椎の歪みが原因とされ、主に高齢者に多く見られる症状。地面に落ちた物を拾うのもつらかった。プロ野球選手では前例のない手術だと聞いても、やる以外の選択肢はない。腰の名医でもある徳島大の西良浩一氏に頼み込み、オフ期間にメスを入れた。

 背水の2019年は1軍登板なし。体の回復が追いつかなかった。球団から引退試合の開催を提案されたが、戦力外の道を選んだ。「しっかり治った状態で投げたい。もう少しやれるんじゃないかという思いでした」。一投手として後ろ髪を引かれる思いに嘘はつけない。そして、もうひとつの思いも背中を押す。

「家族に苦しんでいる姿ばっかり見せてきたので。最後くらい投げいる姿を見せたいなって」

 その年、父が倒れ、生死の境をさまよった。大動脈解離が進行し、破裂寸前だった。あの日のことを、今でも妙に生々しく覚えている。

「ちょうど試合が終わった後で、みなとみらいにいたんですよね。そしたら父からLINEが来て『大動脈の手術をしてる』と。そんな大きな手術をしながら打てるわけないと思っていたら、母が父の携帯で送っていました」

 一命を取り留めたからこそ、ほんの少し笑い話にもできる。病院に運び込まれ、ちょうど執刀医がいたから助かったと、後から聞いた。集中治療室から一般病棟に戻った際に面会に行くと、父の体のあらゆる場所から、点滴の管が伸びていた。「助かったのは、奇跡に近い状態でした」。まだマウンドに上がる理由としては、十分だった。

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