松坂大輔がボロボロになっても投げ続けたワケ 「あの試合が原点」と語る一戦とは?

引退セレモニーに臨んだ西武・松坂大輔【写真:荒川祐史】
引退セレモニーに臨んだ西武・松坂大輔【写真:荒川祐史】

現役後半は批判受けるも「跳ね返してやろうとやってきた」

 かつての剛速球は2度と投げられないとわかっていても、松坂は12年間に渡ってあがき続けた。歴代最多の通算868本塁打を誇る王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)は、シーズン30本塁打を放った1980年に「王貞治のバッティングができなくなった」と名言を残しバットを置いた。

“昭和の怪物”と呼ばれた江川卓氏は13勝5敗、防御率3.51の好成績を残した1987年に「自分本来の投球ができなくなった」として引退した。ボロボロになっても現役にこだわった松坂の生き様は、先人の美意識とは対象的に見える。

 松坂自身「もっと早く、辞めてもいいタイミングはあった」と認める。「(現役後半は)叩かれたり、批判されることの方が多かったけれど、それを力に変えて、跳ね返してやろうと思ってやってきた」という負けん気が原動力の1つではあった。新人時代、当時ロッテのエースだった黒木知宏氏と投げ合って負けた際に口にした「リベンジします」という言葉は、その年の新語・流行語大賞を受賞。松坂の現役生活を象徴する言葉でもあったと言えそうだ。

 そして、もう1つ。松坂には横浜高3年の夏の甲子園で、強烈な成功体験を得た。PL学園との準々決勝で何度も敗戦の危機に瀕しながら延長17回の末、9-7で勝ち切った。松坂は250球で完投した。「あの試合があったから、最後まで諦めなければ報われる、勝てる、喜べると信じることができた。あの試合が原点でした」。

 栄光だけではない。不遇の12年間を戦い続けることができたのも、平成の怪物ならではだったのだ。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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