「野球のことは忘れてください」元阪神外野手が明かす脳腫瘍を告げられた瞬間

18時間に及ぶ開頭手術…術後もモザイクがかかったような視界に絶望

 2月16日、額を約3センチ切って内視鏡を入れ約2時間の手術を受けた。すると視界を遮っていた黒いラインが消え、横田さんはこれで全て済んだと勘違いしたが、とんでもなかった。3月30日、後頭部を開いての18時間に及ぶ大手術が待っていたのだ。腫瘍は無事摘出されたが、手術直後に驚いたのは、目の前が真っ暗で、近くにいる両親の顔さえ、まるでモザイクがかかったようだったことだ。「野球はもう無理かもしれない」と絶望感に打ちひしがれた時期だった。

 それでも術後1か月を過ぎた頃から、徐々に両親の顔が見え始める。窓の外の天気も分かるようになってきた。2か月が経った頃、病室に子ども用の柔らかいゴムボールを持ち込んだのは、父の真之(まさし)さん。実は真之さんは元プロ野球選手。1984年ドラフト4位で駒大からロッテに入団した外野手で、ルーキーイヤーから2年連続で打率3割、2年連続ベストナインに輝いた。

 横田さんは最初、病室内でゴムボールを使い、その後は屋外に出て軽いボールで、父を相手にキャッチボールを始めた。絶望的な暗闇の中から、少しずつたぐり寄せる復帰への道。「プロ野球選手がするような練習ではなかったですが、恥ずかしいとは思いませんでした。これを乗り切ったら必ず幸せな瞬間が来ると信じていましたから」

 術後3か月を経た6月には、抗がん剤と放射線による治療が始まった。抗がん剤は月曜から金曜まで毎日点滴で投与し、3週間空けて同じことを繰り返す。これを3クール行った。副作用で食欲が落ち、慢性的に吐き気を催した。そして頭髪はもちろん、眉毛から体毛に至るまで体中の毛が抜け落ちてしまった。

 7月の退院まで約半年にわたった入院生活を、病院の近くにアパートを借りて毎日献身的に支えてくれたのは、母のまなみさん。「目が見えない時は、食事も1人ではできないので、母に食べさせてもらっていました。入院中も明るく接してくれる母に頼り切って生活していました」と横田さんは言う。

 重病を乗り越え、プロ野球のグラウンドに戻るには、横田さん自身の努力もさることながら、努めて明るい表情で支えてくれた両親の存在が欠かせなかった。横田さんは「この両親でなかったら、自分は病気に勝てていませんし、ましてやグラウンドには絶対に戻れなかった。強い両親のお陰だと思っています」とうなずいた。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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