体中の毛が抜けた抗がん剤、放射線治療… 元阪神外野手が号泣した父の行動
プロの世界に導いてくれた田中秀太スカウトから「少し話をしようか」
翌2018年の2月には、2軍の春季キャンプに参加。基礎的なトレーニングからキャッチボール、ティー打撃、ノックをこなし、キャンプ後半には屋外でのフリー打撃も解禁された。シーズンに入ると、試合に出ることはできなかったが、ベンチで人一倍大声を張り上げ、チームを鼓舞した。こうして2018年と19年の2シーズン、実戦復帰を目標に練習に打ち込み、体力は手術前のレベルまで上がったが、どうしても戻らないものがあった。
「目の状態です。視力は左右とも1.5でしたが、打撃投手のボールやノックのフライが二重に見え、角度によって見えないこともありました。実戦形式のシート打撃で打席に立つことや、グラウンド内での走塁練習は危険と判断され、最後まで許可されませんでした」
2019年の9月中旬。横田さんは担当スカウトとして自分をプロの世界に導いてくれた田中秀太スカウト(現阪神2軍内野守備走塁コーチ)から「少し話をしよう」と声をかけられた。「球団は来シーズンも続けていいと言っている。おまえの気持ちはどうだ?」。そう問いかけられ心が揺れた。2シーズンに渡る苦闘を経て、この先いくら練習しても試合には出られないと悟っていた。「今年でユニホームを脱がしてください」と静かに告げた。
同月26日、阪神の2軍本拠地の鳴尾浜球場で行われたウエスタン・リーグのソフトバンク戦が、横田さんの引退試合として設定された。8回途中、平田勝男2軍監督からセンターの守備に就くよう命じられると、全力疾走で定位置へ向かった。「プロ1年目からずっと、平田監督からプロ野球選手として大事なことと教わっていたので、打てない時でも守備位置まで全力で走っていくようにしていました」と明かす。
試合には背番号124のユニホームで出場したが、終了後の引退セレモニーでは「24」に着替えた。プロ1年目の2014年、前年に現役引退した“代打の神様”こと桧山進次郎氏から受け継いだ栄光の背番号は、2018年から空き番となっていたが、このセレモニーでは横田さんの背中に戻った。今年からはロハス・ジュニア外野手が付けた。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)