「今より差別が色濃く残る中で…」 なぜ中日ドラ1は背番号「42」を迷わず選んだか?

「42」は“強さ”の象徴「野球人として、人間てしても成長していきたい」

 多様化が叫ばれる今の時代でも、心ない視線や言葉を浴びせる人間はわずかにいる。そんな状況を代弁するように「ハーフの子どもや、野球をしている子どもの力に少しでもなれるように」と思いを語る。ブライトにとっては、“強さ”の象徴でもある番号。「自覚と責任のある行動をとって、野球人として、人間てしても成長していきたい」と胸に刻む。

 1972年にジャッキー・ロビンソンが53歳でこの世を去ってから、来年で50年。半世紀の時を経ても、22歳の青年にとっては道標であり続ける。「いつか海外からきた人(助っ人)がつけたいと言って、取られないように必死でやらないと」。少し茶目っ気ものぞかせ、偉大な功績に思いを馳せる。

 中日では過去15年以上助っ人が担ってきたが、「42番といえばブライトと言ってもらえるような数字にしたい」。野球人生で初めて背負う特別な番号を、自らの代名詞に。「(自分の)名前にもありますけど、輝くというのは好きな言葉。しっかりと輝けるように」。プロの世界で、確かな足跡をつけていく。

(小西亮 / Ryo Konishi)

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