大谷翔平は野手専念なら「400~500本塁打」 TJ手術の大先輩・村田兆治氏が期待する未来
「二刀流は負担が大きく選手寿命を縮める」
日本財団(笹川陽平会長)がアスリートの社会貢献活動を表彰する「HEROs AWARD 2021」が20日、都内のホテルで行われ、通算215勝を誇る元ロッテ投手の村田兆治氏らが受賞した。村田氏は現役時代に右肘の内側側副靭帯再建術(トミー・ジョン手術)を受け、日本プロ野球界初の成功例として知られている。エンゼルスの大谷翔平投手がトミー・ジョン手術を経て、今季メジャーリーグでMVPに輝く流れをつくった人物とも言えるが、村田氏はFull-Countの取材に「大谷はなるべく早く野手に専念した方がいい」とブレない持論を展開した。
「HEROs AWARD 2021」では、全国の離島に住む中学生が一堂に会する「離島甲子園」を提唱し、2008年以降12回開催してきたことを評価された村田氏。現役時代にはプロ16年目の1983年、33歳でトミー・ジョン手術に踏み切った。それまでに通算156勝を積み上げていた村田氏は「あと2、3年で200勝を達成し、それはあくまで通過点──と自分の頭の中で野球人生のシナリオができていたが、突然右肘痛に襲われ、タオルを絞ることもできなくなった」と振り返る。
当時、投手の肘にメスを入れることはタブーとされていた。「日本国内の名医といわれる人たちを何十人も訪ね歩いたが、成功したことのある医者はどこにもいなかった」。最終的にスポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブ氏にたどり着き、渡米して執刀を受けたのだった。
翌1984年の秋に1軍復帰を果たし、85年は開幕11連勝を皮切りに17勝5敗と活躍。劇的な復活を遂げた。結局、手術後も7年間現役を続け59勝。現役最終年の1990年でさえ40歳で10勝(8敗)を挙げ、余力を感じさせたほどだった。村田氏の成功がなかったら、あとに続いた投手たちがどうなっていたか、日本プロ野球史がどう変わっていたかわからない。