小学校の先生が夢のメジャーへ ドジャースと契約した“超無名”155キロ右腕の正体

会見に臨んだBC茨城・松田康甫【写真:川村虎大】
会見に臨んだBC茨城・松田康甫【写真:川村虎大】

ドジャースとマイナー契約を結んだ茨城アストロプラネッツの松田康甫

 未完の大器が、海を渡って大リーグに挑戦する。ルートインBCリーグ・茨城アストロプラネッツに所属する松田康甫投手だ。16日までにドジャースとのマイナー契約を勝ち取った右腕は、これまでどのような道を歩んできたのだろうか。

「今でも実感はないです」。17日に茨城・水戸市内のホテルで行われた記者会見で、そう正直な気持ちを明かした。石川・金沢高時代、3年夏はエースを任されたが、県8強止まり。進んだ拓大では右肩の故障にも泣き、東都大学野球のリーグ戦ではわずか1試合の登板に終わった。

 小2から野球を始め、当時から夢はメジャーリーガー。大学時代はプロを目指す気持ちの一方で、現実を理解していた。4年間で教員免許を取得し、一般の就職活動もしようと考えていた。

 ただ、8個上の兄・駿甫さんが以前、同じBCリーグの石川ミリオンスターズ(現在は日本海オセアンリーグに所属)でプレーしていたこともあり、「プロがダメだったら、1年で辞めよう」とリーグのトライアウトを受験。才能を見込んだ茨城のドラフト指名が、松田の人生を変えた。

 学生時代は超がつく無名。独立リーグでは早々に結果を出したくて、入団後の春季キャンプから毎日ブルペンで投げ込んだ。見ていた小山田拓夢投手コーチが投げすぎを懸念し「投げるな!」と本気で怒ったほどだ。ブルペンを週1回に減らし、体幹強化などのトレーニングを増やした。徐々に球速も上がり、昨年4月の開幕戦では時速155キロを計測。巨人3軍戦でも相手を圧倒してみせた。直球は常時150キロを記録するまでに成長していた。

地元・石川で小学校の非常勤講師を務める“もう一つの姿”も

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY