“長嶋政権”で活躍した元巨人助っ人 バリバリのメジャーリーガーはなぜ日本を選択?

ツインズ時代のシェーン・マック【写真:Getty Images】
ツインズ時代のシェーン・マック【写真:Getty Images】

1995、96年の2年間巨人に在籍したシェーン・マック氏

 現在、ロックアウトで大リーグは契約を始めとした動きが止まってしまっている。これまでにも労使関係のもつれから同様の事態を招いたことはあり、1994年8月から1995年4月にかけては選手会によるストライキが行われた。当時は一流の大リーガーが、働き場所を求めて来日、そんな一人が元巨人のシェーン・マック外野手だ。米国のスポーツ専門メディア「ジ・アスレチック」が「ツインズ史上、最も過小評価された選手」として、大リーグ時代の働きを再評価する特集を掲載している。

 1994年シーズン終了後にFAとなったマック氏は、ストライキの影響もあり1995年1月に巨人と2年契約を結んで来日。長嶋茂雄監督の元で主に1番打者として起用されると、同年は120試合に出場し打率.275、20本塁打52打点12盗塁と上々のスタートを切った。翌1996年には127試合に出場し打率.293、22本塁打75打点12盗塁と成績を上げ、セ・リーグ優勝も経験した。

 プロ入り前は米大学野球の名門UCLA(カリフォルニア大ロサンゼルス校)でプレーし、メジャー通算583本塁打のマーク・マグワイアと並ぶスーパースターだったマック氏。記事でも「5ツールの外野手で3年間で打率.361、出塁率.437、長打率.601、77長打、44盗塁を記録した」と評されるなど、将来を嘱望されていた。

 1984年のロス五輪ではマグワイアと共に銀メダルの獲得に貢献し、同年のドラフト1位(全体11位)でパドレスに入団。1987年にメジャーデビューを果たしたが、成績の浮き沈みが激しく1989年オフにはルール5ドラフトでツインズに移籍した。

大リーグトップクラスの外野手が、日本行きを選んだ1995年という時代

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