巨人・斎藤雅樹が20勝投手に変貌 “移籍1年目捕手”がかけた魔法の言葉とは?

中日、巨人などで活躍した中尾孝義氏【写真:中戸川知世】
中日、巨人などで活躍した中尾孝義氏【写真:中戸川知世】

桑田真澄の制球力は「僕が受けた中でナンバーワン」

「“どうしてインコースを使わないの?”と聞いてみた。内角は厳しいコースにピンポイントで投げないといけない、少しでも甘くなると打たれるという意識が強すぎたみたい」。そこで中尾氏は、指で直径数十センチの円を描きながら「“だいだいこの辺”でいいから、思い切って投げてみて。もし打者にぶつけてしまったら、よけるのが下手だったと考えればいいし、甘くなっても構わない」と言い聞かせた。

 すると、斎藤は徐々に内角を突けるようになり、投球の幅が格段に広がった。1989年は専ら中尾氏とバッテリーを組み、20勝7敗、防御率1.62と大変貌。最多勝、最優秀防御率、そして沢村賞に輝き、巨人の大エースの道を歩み始めた。中尾氏は「数年前、斎藤が番組で“中尾さんのお陰”と言ってくれたのは凄くうれしかった」と口元をほころばせる。

 桑田もこの年、自己最多の17勝(9敗、防御率2.60)を挙げている。中尾氏は「コントロールは、僕が今まで受けた投手の中でナンバーワンかもしれない。ブルペンではほとんどの球が構えた所に来た」と絶賛。「特にシュートとスライダーが良かった。相手が右打者で真っすぐ狙いで来ていた場合、内角のストライクゾーンからボールになるシュートを投げておけばファウルを稼げた。そこを意識させておいて外角のスライダーで勝負するのも効果的。捕手にとっては楽な投手だった」と言う。

 槙原も同年、12勝4敗4セーブ、防御率1.79。「150キロ前後の速球が目立っていたが、スライダー、カーブ、フォークといった変化球も良かった。真っすぐに頼り過ぎず、幅も高低も使える理想的な投手。既に完成されていた」と評する。たいがいは、まず変化球でストライクを稼ぎ、最後は高めのボール球のストレートか、低めのフォークを振らせるのが“必勝パターン”。「あとは相手打者がストライクを取る変化球を狙ってきた時に、捕手の僕が察知できるかどうかがポイントだった」そうだ。

 この年3本柱が確立した巨人は、独走でセ・リーグを制し、日本シリーズでも近鉄を撃破。正捕手として貢献した中尾氏は2度目のベストナインとゴールデングラブ賞、そしてカムバック賞に輝いた。新天地で捕手に復帰して投手陣を成功へ導き、キャッチャー冥利に尽きるシーズンだった。

【実際の動画】中尾孝義さんの現在の姿 斎藤雅樹投手を覚醒させた真実などを明かす映像

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