大谷翔平が連日の“神頼み”… 花巻東の同期が回顧、二刀流が見せた選抜への思い

花巻東OBの小原大樹さん【写真:高橋昌江】
花巻東OBの小原大樹さん【写真:高橋昌江】

大谷は「長距離走が得意ではなかった。選抜に行きたかったんでしょう」

 熱い約束は砕け散った形になったが、一縷の望みがあった。東北大会優勝の光星学院が明治神宮大会を制すると東北地区に1枠増えるのだ。「他力本願ですけど。神宮大会はめっちゃ気にしていました」。あとは祈るのみ――。彼らは本当に、祈っていた。

 明治神宮大会の期間中、選手たちはランニングで神社を訪れていた。誰が言い出したのか、最初は3人くらいからはじまって、4人、5人と日に日に増えた。最初からいたのが大谷だった。「翔平は長距離を走るのが得意ではないんですよ。選抜に行きたかったんでしょうね」。17歳の高校球児だった大谷が不得意なことをしてまで神社に向かい、手を合わせる。右足首に打球が直撃し、骨挫傷で松葉杖生活だった小原さんは走れず、その光景を見ることはなかったが、10年の時を経て改めて大谷の甲子園への強い思いを慮る。

 祈りは通じた。光星学院・田村は東北大会直後から「花巻東にも選抜に行ってもらいたい」と話し、秋の頂点を極めた。「感謝の気持ちでいっぱいでした」。その年の12月には同じく東北大会4強の青森山田が推薦を辞退したことによって選抜出場が“確定”。1月に正式選出され、一度は閉ざされたように思えた「選抜制覇」への扉が開いたのだった。

 選抜大会では初戦で大阪桐蔭と対戦した。身長193センチの大谷と197センチの藤浪晋太郎投手(阪神)。世代を代表する本格派の長身右腕が相まみえる“東西のダル対決”として注目された一戦は、花巻東が大谷の本塁打などで序盤をリードした。ところが中盤になって大谷は制球を乱し、守備も乱れるなどして逆転された。2-9の9回2死一、三塁。小原さんは代打で打席に立った。「“プチ二刀流”だったので(笑)」。あわよくば一塁走者も生還させ、点差を詰められるよう長打を狙った。しかし、左打席で見た藤浪の初球は「ちょっと違う」。後ろにつなぐ、と考えを変えたが、2ストライクからの3球目、外角にシュートしていった直球にバットは空を切った。

 大阪桐蔭は勝ち上がって決勝へ。光星学院も2季連続で決勝に進出した。もしも、花巻東が初戦を突破していたら、東北勢同士の決勝になったのだろうか。あれから10年。東北地方には春も夏も優勝旗はまだ渡っていない。だからこそ、後輩たちは意志を引き継ぎ、日本一に挑み続けている。今回の選抜に、花巻東は小原さんたちが成し遂げられなかった東北王者として臨む。チームには田代旭、佐々木麟太郎ら打力のある選手がそろう。小原さんの弟・大和も所属し、昨秋の公式戦では9試合に出場して打率.400をマークした。

「純粋に野球を楽しんでほしいと思います。岩手の子どもたちの背中を押せるような姿を見せてほしい。結果はついてくるもの。僕らは間違いなく、(菊池)雄星さんたちにそれを見せてもらってワクワクしました。子どもたちの夢や目標になるような、そういう姿を見せてほしいですね」。小原さんは、そうエールを送る。2009年選抜で準優勝に導いた菊池雄星(ブルージェイズ)、その3年後に大谷とその仲間たちが野球少年少女に見せてきた“ハナトウ”の姿。どんな結果よりも、その“伝統”が花巻東の強さである。

(高橋昌江 / Masae Takahashi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY