オリ宮城は「1点も取られていない」 右投げで115キロ…恩師明かす中学時代の“伝説”

オリックス・宮城大弥【写真:荒川祐史】
オリックス・宮城大弥【写真:荒川祐史】

宜野湾ポニーズ・知名朝雄総監督に直訴「右でも投げられます」

 昨季13勝4敗、防御率2.51という好成績を収め、新人王に輝いたオリックスの宮城大弥投手。エース・山本由伸投手と並び、チームを25年ぶりのリーグ優勝に導いた左腕は、弱冠20歳とは思えぬマウンド捌きで打者を圧倒した。

 いったん試合を離れれば、人懐こい笑顔がトレードマークの人気者。チームメートやファンから愛される教え子の姿に目を細めるのが、沖縄・宜野湾ポニーズの知名朝雄総監督だ。中学時代から「誰に対しても良い子でした」とその人柄を称える。

 宜野湾ポニーズは知名氏が1985年に創設し、宮城の他にも元日本ハムの運天ジョン・クレイトンらプロ入りしたOBもいる。現在、知名氏は総監督という立場で選手たちを指導。今年73歳になるが、「体が動くうちは見ていたいですね」とまだまだ現役だ。

 宮城との出会いは2014年、新中学生として入部してきた時だった。当時から決して身長は高くなかったものの「(野球の)センスはありました」と振り返る。その言葉を象徴するかのようなエピソードを教えてくれた。

「右でも左と同じくらい(の球速)で投げるんです」

 入団当初、宮城は左肘を痛めていた。知名氏は治癒するまで外野での起用を考えていたが、「『右でも投げられます』って言うんですよ」。試しに右で投げさせてみると、115キロを計測したという。故障が治るまでは外野でも、右投げで守っていた。

 中学2年から本格的に投手としてプレー。当時からスライダーと直球を武器に、ポニーリーグでは無双状態だった。投球数制限などがあり、登板したのは公式戦の半分ほどだが、「3年間で1点も取られた記憶はありません」と知名氏は明かす。

中学の頃から野球も振る舞いも一流「今でも本当に素直な子」

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