「鈴木一朗」が「イチロー」となった瞬間 仰木監督に進言、名付け親が明かす“舞台裏”

振り子打法で記録抜かれた…「想像と違う活躍を見せた選手は彼だけ」

 レギュラー初年度になる若手に球界初の「カタカナ登録名」は荷が重いのでは……。そんな心配から、注目度を分散させるために仰木監督はパンチパーマがトレードマークだった佐藤和弘も「パンチ」で登録することに決めた。ただ、この心配は杞憂に終わる。この年、イチローは69試合連続出塁の日本記録を作り、安打を量産し続けた。新井氏の184安打を抜き去ると、最終的に210安打という前人未到の記録を作った。

「184安打は私が唯一、自慢できる記録だった。それなのにいとも簡単に抜かれて(笑)。あの時は『また打った』から始まり『イチローなら打つやろ』、そして最終的には記者が『どうして今日は打てなかったんですか?』に変わっていた。毎日ヒットを打つのが当たり前になっていた」

「鈴木一朗」から「イチロー」に変わった1994年は130試合に出場して、打率.385、13本塁打、54打点、29盗塁をマーク。首位打者、最多安打、最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。打者としては史上最年少でのMVPにも輝き、一気にスーパースターの仲間入りを果たした。

 その後の活躍は誰もが知っての通り。「プレーヤーとしてのあり方、精神状態など、全てにおいて心配することはなかった。どれだけ打っても満足することない、常に向上心を持っている。自分の想像と違う活躍を見せた選手は彼だけだった」。日本、メジャーで活躍する“教え子”の姿は常に驚きの連続だった。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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