命を賭けた仰木彬氏の“最後の1年” 王監督からの慰留断り退団「腹をくくった」

04年にオリックスと近鉄の合併問題、仰木氏から「俺、監督をやることになった」

 今後もダイエーで指導者を続けるつもりでいたが、同年に起こったオリックスと近鉄の球団合併問題が再び新井氏の人生を変えることになる。新たに合併して生まれ変わるオリックス・バファローズの初代監督として白羽の矢が立ったのが恩師でもある仰木彬氏だった。2004年のシーズン中に、そのことを電話で知らされた。

「新井、俺、監督をやることになった」

 仰木氏は2003年に肺がんが再発し、九州にある国立病院で闘病生活を続けていた。新井氏もそのことを知っていただけに、監督就任の話は驚きでしかなかった。プロ野球界を席巻した強力打線を作り上げ、順風満帆な指導者人生を送っていたが、胸に湧き上がる思いは1つだった。命を賭して、球界に復帰する仰木氏を支えることに決めた。

「仰木さんは多くを語らなかったが、そこには『手伝ってくれないか?』との意味があると理解した。休みを見つけて、お見舞いに行った時には水が溜まり、体に管を通しながら『しんどいわ』と口にする姿を見ているので。私もこれが最後になるかもしれないと腹をくくりました」

王監督に誘われダイエー入りも退団「こんな失礼なことはないと思った」

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