村上宗隆は日本記録の60発に届く? バレ、王貞治、ローズ、カブレラとペース比較

50号3ランを放ったヤクルト・村上宗隆【写真:荒川祐史】
50号3ランを放ったヤクルト・村上宗隆【写真:荒川祐史】

チーム119試合目で50号…残り24試合でどこまで伸ばせるか

 ヤクルトの村上宗隆内野手が、2日の中日戦(神宮)でNPB10人目(15回目)となるシーズン50号本塁打に到達した。ヤクルトはこの日が119試合目で、気になるのはチームの先輩にあたるバレンティンが2013年に残した60本塁打の日本記録、また1964年に王貞治(巨人)が残した日本選手最多の55本塁打に届くのかどうかだ。ここでは過去の強打者と50本塁打到達のペースを比較し、新記録への可能性を探ってみたい。

 村上は119試合目で大台に到達した。143試合に換算すれば、シーズン終了時には61発に達するペースだ。ただ、そう単純には行かないのがこの世界。記録が近くなれば、まともに勝負してもらえない可能性もある。

 2013年のバレンティンは、8月にNPBの月間本塁打記録となる18本を放って大爆発。50号に到達したのは8月27日の中日戦(神宮)だった。試合数で見ると111試合目で、今年の村上より8試合速い。60号に到達したのは142試合目で、10月4日の阪神戦、メッセンジャーからだった。

 今回、22歳7か月の村上にシーズン50発の最年少記録を更新されたのが1964年の王貞治(巨人)だ。24歳の王が50号に達したのは、8月27日の大洋戦(後楽園)。これはシーズン122試合目にあたり、今回の村上より3試合遅い。55号を放ったのは9月23日の大洋戦(後楽園)で、シーズン最終戦となる140試合目だった。

 2001年にこの王の記録に挑んだのがローズ(近鉄)だった。ローズの50号は9月5日の西武戦(西武ドーム)で三井から。チーム122試合目でのことだった。王の記録に並ぶ55号は9月24日の西武戦(大阪ドーム)で松坂から。チーム135試合目のことで、残り5試合に新記録がかかったものの出なかった。

 数々の特大弾で名をはせたカブレラ(西武)がこの数字に挑んだのは2002年。50号は117試合目の9月10日のダイエー戦(西武ドーム)で若田部から。55号はローズと同じ135試合目で10月2日の近鉄戦(西武ドーム)だったが、残り5試合では四球攻めにも悩まされ一発が出なかった。

 自身の状態のほかにも、前後を打つ打者や優勝争いの行方によっても本塁打数は左右される。驚異的なペースで量産を続ける村上は残り24試合、どこまで数字を伸ばしていくだろうか。

(Full-Count編集部)

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