山本浩二監督に「4番を外してください」 新井貴浩が“苦悩”を経て「化けた」ワケ

広島時代の新井貴浩氏【写真:荒川祐史】
広島時代の新井貴浩氏【写真:荒川祐史】

内田順三氏が語る新井貴浩…師弟関係になった2003年は成績が急降下

 現役時代にヤクルトや日本ハム、広島で13年プレーし、広島と巨人で指導者を計37年務めた内田順三氏。多くの打者を育てた名伯楽が「化けた」と表現する選手がいる。39歳シーズンで広島を25年ぶりリーグ優勝に導きシーズンMVPを受賞、通算2203安打を放った新井貴浩氏もその一人だ。

「体が大きくて当たったら飛ぶ。ただ、練習とゲームは違う。バッティングは名前の通り“アライ(粗い)”」。新井は駒大出身で、内田氏の後輩にあたる。内田氏は新井の大学時代のプレーを実際に見たことはなかったが、駒大関係者らから噂が伝わってきていた。東都リーグでは通算2本塁打と飛び抜けた結果を残していたわけでもなく、プロのドラフト指名候補に挙がるような選手ではないとも聞いていた。当時の内田氏は巨人でコーチを務めていた。

 迎えた1998年ドラフト会議。広島がドラフト6位で指名した。新井は広島市育ちで、高校も広島工。プロ入りを熱望する新井を知る周囲が、先代の松田耕平オーナーに推薦。「後から僕の聞いた話では、広島の人間だし、体が強く元気もある。もしかして化けてくれたらと獲得した。そういう経緯があったようです」と内田氏。地元が手を差し伸べた形だった。

 内田氏が新井と同じ赤いユニホームで“師弟”となったのは2003年から。この年、新井は苦悩していた。公私ともに頼れる“アニキ”だった金本知憲外野手が前年オフに阪神にFA移籍。山本浩二監督は金本に代わる「4番をつくる」と宣言し、新井を抜擢した。当然相手が新井にマークを集中させる中、打率.236、19本塁打と前年の.287、28本塁打から急降下。チームも5位に終わった。

「4番のプレッシャーに押しつぶされ数字も出ない。個人成績がどうのこうのより、チームが勝てないから申し訳ないと思う選手ですから。それまでなら金本が新井の表情を見ていじったり、一対一で飯を食って打撃のちょっとしたポイントを話したり。拠り所があったと思います」

山本監督に「チームに迷惑をかけたくありません。4番から外して下さい」

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