プホルスの700本塁打で辿る日本投手の歴史 ダルビッシュら7人が計14発を献上

700号本塁打を達成したカージナルスのアルバート・プホルス【写真:ロイター】
700号本塁打を達成したカージナルスのアルバート・プホルス【写真:ロイター】

最初の一発を浴びたのはマック鈴木、大家とダルビッシュは最多3発を被弾

 史上4人目となる700本塁打を達成したカージナルスのアルバート・プホルス内野手。2001年のデビューから2022年にわたって、歴代最多となる455人の投手から一発を放った。その中でも7人の日本人投手が計14発を献上。プホルスの大記録から日本人投手のメジャー挑戦の歴史を振り返る。

 日本人投手では、マック鈴木が最初の一発を浴びた。NPBを経ずにマリナーズに入団したマック鈴木は、2球団目となるロイヤルズ時代の2002年6月8日に通算50号を献上した。現在は楽天で監督を務めるドジャースの石井一久は、同年7月4日と2003年7月18日に56号、99号を打たれた。

 大家友和は最多タイとなる3発を被弾。ブルワーズ時代の2006年4月10日に205号、インディアンス時代の2009年6月13日には1試合2発となる340号、341号を許した。黒田博樹はドジャース時代の2011年4月14日に410号、ヤンキース時代の2014年4月25日に501号を献上。プホルスはこの間の2012年からエンゼルスに移籍している。

 ダルビッシュ有も大家に並ぶ3発を許した。エンゼルスと同じア・リーグ西地区のレンジャーズ在籍時に対戦が多く、2012年8月1日、2014年5月4日、2017年7月9日と6年間に渡って被弾した。岩隈久志も同地区のマリナーズで活躍し、2015年4月8日と2016年9月4日に521号、589号を打たれている。

 日本人投手で最後に被弾したのは2019年7月21日に648号を許した当時マリナーズの菊池雄星。この試合には大谷翔平も出場しており、5打数2安打の成績だった。エンゼルスの同僚としてプレーした大谷や野茂英雄、松坂大輔、田中将大らは本塁打を許していない。

【一覧】懐かしい名前も…プホルスに被弾した日本人投手一覧

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