乗り込む寸前「巨人の宿舎どこだ!」 大乱闘で怒り頂点の闘将・星野仙一、相手選んで“ビンタ一発

死球を巡り乱闘となった中日・宮下昌己(左)と巨人のウォーレン・クロマティ【写真:共同通信社】
死球を巡り乱闘となった中日・宮下昌己(左)と巨人のウォーレン・クロマティ【写真:共同通信社】

血気盛んだった第1次星野政権の中日…伝説の大乱闘2つをクローズアップ

 最近はめっきり少なくなった試合中の乱闘騒ぎだが、かつての星野中日では、特に1987年から1991年までの第1期政権下では、この手の話題も満載だった。星野仙一監督の側近中の側近だった早川実氏も忘れられない出来事が多いというが、今回はいくつもあった乱闘エピソードの中から、1987年6月11日の巨人戦(熊本・藤崎台)と1990年5月24日の巨人戦(ナゴヤ球場)をクローズアップする。【山口真司】

 熊本・藤崎台球場の乱闘劇の引き金は、中日の宮下昌己投手が巨人のウォーレン・クロマティ外野手に投じた内角球だった。クロマティは体をひねるも、よけきれず背中付近に死球。これに怒って謝罪を求めたところ、宮下が応じるそぶりを見せなかったことで、さらに激高してマウンドに向かって走り出し、なんと顔面に強烈な右フックをぶちかました。これでゴング。一気に両軍入り交じってのバトルが始まった。

 闘将も鬼の形相でその輪に加わった。巨人・王貞治監督には、つかみかかり、右拳を突き出して「これ(パンチ)はいかんだろ!」とほえるなどエキサイトした。早川氏は「大変ですよ。あの人は最初は演技なんですが、いつの間にか、それが本気になってしまう。そんなときにもっと気に入らないことを言われたら、もう……」。この巨人戦もそうだった。闘将の怒りの炎は徐々に本格化。それこそ沸点に達したら、なかなか収まらなかった。

「あの日は試合後もまだ怒っていた。だって、『巨人の宿舎はどこだ! 調べろ!』ってまで言い出したんですから」。それがわかったら乗り込むつもりだった。「今から行く! っていうから、それはダメですよって」。早川氏が必死になって止めてなんとか冷静になってくれたという。「風呂に入るためにユニホームを脱ぎ始めましたからね。ホッとしましたよ」。もしも、あのまま突き進んでいたら、大変な事態になっていたかもしれない。それほどの剣幕だった。

手を出していい相手を発見「そういうところは冷静な人だったんです」

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