通算215勝のOB村田兆治氏が死去 秋季練習中のロッテが半旗、黙とうで追悼

ロッテで活躍した村田兆治氏【写真:荒川祐史】
ロッテで活躍した村田兆治氏【写真:荒川祐史】

“マサカリ投法”で一世風靡、ひじ手術から復帰の先駆者

 ロッテは11日、OBで通算215勝を挙げた村田兆治氏がこの日未明に死去したと発表した(享年72歳)。ZOZOマリンスタジアムで行われた秋季練習では、哀悼の意を示す半旗を掲げ、選手、コーチ、関係者は黙とうを捧げた。

 村田氏は1967年のドラフト1位で福山電波高(広島)から当時の東京入り。剛速球と落差の大きなフォークボールを武器に活躍し、1974年のロッテ日本一にも貢献した。ただ1982年に右ひじを痛め、1983年に当時は一般的ではなかったトミー・ジョン手術を渡米して受けた。1984年の終盤に復帰し、1985年からは先発ローテーションの一員として復活。登板間隔を開けるため日曜日を中心にマウンドに上がったことから“サンデー兆治”と呼ばれた。

 1989年に通算200勝を達成。翌1990年、10勝を挙げながら現役を退いた。通算604試合に登板し215勝177敗33セーブ、防御率3.24。最多勝1回、最優秀防御率3回、最多セーブ1回のタイトルに輝いている。引退後もトレーニングに余念がなく、還暦が近くなっても140キロのボールを投げることで知られた。

 ロッテは球団ホームページに「東京オリオンズ、ロッテオリオンズに在籍、1968年から1990年まで22年間活躍されました村田兆治氏が11月11日(金)未明お亡くなりになりました。(享年72歳)。ここに故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。村田氏は通算215勝を挙げ、その独特でダイナミックな投球フォームはマサカリ投法と呼ばれ、ファンに愛されました」と記し、ファンに訃報を伝えている。

(Full-Count編集部)

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