戦力外から“ゴジラキラー”に 野村再生工場で復活…高校指揮官が明かす松井氏への感謝

浪速高監督を務める元阪神の遠山昭治氏【写真:山口真司】
浪速高監督を務める元阪神の遠山昭治氏【写真:山口真司】

1999年は松井に13打数無安打「あれだけの選手だったから僕が目立った」

 元阪神の遠山昭治氏と言えば、代名詞は「ゴジラキラー」。巨人時代の松井秀喜氏を封じ込んだシーンはもはや伝説になっている。現在は大坂・浪速高校の硬式野球部監督を務めるが、そんな現役時代の逸話は今の高校生たちにどう響いているのか。「ネットとかで知っているとは思いますが、今の子たちが興味あるのは現役選手。やっぱり大谷(翔平)なんですよ」。そう語りつつ、当時の対松井を振り返ってもらった。

 1999年シーズンは13打数無安打。あの松井氏に「顔も見たくない」とまでコメントさせたことでも知られる遠山氏だが「スピードは130キロくらいで、横から投げて、ちょっと左の内に落とすボールがあって、あとはコントロール、組み立て。きちんとそこに投げられるか。それだけの問題だった」と淡々。「甘いボールも多かったですよ。(松井氏の)ミスショットがあったから、結果として出ただけだと思います」と、どこまでも謙虚に話した。

 遠山氏は熊本・八代第一(現・秀岳館)時代に投打で注目され、1985年ドラフト会議で阪神に1位指名されて投手として入団。1年目から8勝をマークするなど活躍した。その後は故障もあって伸び悩み、ロッテに移籍し、野手にも転向したが、1997年オフに戦力外通告を受け、古巣である阪神の入団テストを受けた。「野手のつもりだったんですけど、投手をやってみろって。なんでとは思いましたけど、テストですし、何でもやろうと切り替えましたね」

 その後、1999年シーズンから阪神監督を務めた野村克也氏の勧めでオーバースローからサイドスローに変え、左打者へのワンポイントリリーフ役へ。それがゴジラキラーへの道につながった。「投手コーチがロッテ時代の監督だった八木沢(荘六)さんだったタイミングもあった。僕がやっている時に松井がいたとか、いろんな条件があっての出来事だと思う」。痛感するのは適材適所の部分で「松井があれだけの選手だったから僕が目立つだけ。松井には感謝しています」とも口にした。

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