監督も言葉失った…甲子園での“寝そべり” 最後の近鉄戦士が真の球児になった瞬間

甲子園での“寝そべり”についても振り返ってくれた【写真:中戸川知世】
甲子園での“寝そべり”についても振り返ってくれた【写真:中戸川知世】

1年秋からは背番号「1」を背負い、春夏通じ同校初の甲子園に導く

「試合に負けて泣いたのはその時だけ。元々、甲子園への思いはそこまでなかったけど先輩たちの顔を見ると悔しさと不甲斐なさでいっぱいになって『スイマセンでした』と。自分がもっと打たないといけない、中心にならないといけない。中学生の延長でやっていた野球がそこで変わった」

 敗戦を経て本物の“高校球児”になった坂口氏は新チームが始まると、その才能を一気に開花させる。1年秋から背番号「1」を背負い「5番・投手」としてチームを牽引。秋季兵庫大会を優勝すると、そのままの勢いで秋季近畿大会でベスト4入りを果たし、翌年の選抜大会出場を決めた。

 2001年の選抜では初戦で市川(山梨)と対戦。6回まで3安打に封じ2-0とリードしていたが、7回に1点差に迫られると8回は自らの失策もあり一挙4失点。この回途中で降板するとチームも反撃できず2-5で敗れ、同校の初の甲子園は初戦敗退となった。

 中盤まではほぼ完璧な投球を見せていたが、終盤は体の異変を感じていた。何度も足がつりかけ最終的にはマウンドに寝そべりながらストレッチを行うと、ベンチの青木監督や部長らは目を丸くし言葉を失った。何気なく行った行為だったが「試合後に監督やコーチに『甲子園であんなことするやつ初めてみた』と言われて(笑)。自分の世界に入っていた」と振り返る。

野間口、高井の投げ合いを目の当たりにし実力の違いを痛感

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